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ティーダな出会い 第5回 - 當銘直美さん

 





■當銘直美さん■ (とうめなおみ)
1974年3月16日、浦添市生まれ、浦添市育ちの元「ミスてだこ」。
現在は県内で幅広く活躍する、笑顔の素敵な直美さん。
記念する第30回浦添てだこまつりのMC(総合司会)をすることになったとか!
そんな彼女!いつもはインタビューする側にいる直美さんにインタビューしてみました


「ミスてだこ」としての1年間 (現在の「てだこレディ」)

 キャビンアテンダントの、お姉さんの制服を借りて写真を撮ったりして、幼い少女の頃から夢として憧れていた空の仕事に就く為に東京へ行くつもりだったという当時19歳の直美さんに、近所の方々が「ミスてだこ」への応募を強く勧めてくれた。悩みながらも応募してみた所、なんと「ゴールデンカップ」を受賞!
 それから「ミスてだこ」としての1年間の公務を通して、浦添市の歴史をしっかり勉強し、社会人としてのマナーや身だしなみ、立ち居ふるまい、話し方など、知っていそうでなかなか学ぶ事のできない事を学べたという。東京でのイベントで特産物などを紹介する時には「適確に・分かりやすく・爽やかに」伝える事が必要とされた。気付けば人前に出る事が楽しくなって来た。
「今思うと恥ずかしいのですが、19歳の頃は本当に知らなくて、ずっと大好きだった黄色い花が浦添市の花:オオバナアリアケカズラだと知って素直に嬉しかったことを覚えています。本当にいろんな事が学べたので、全てのキッカケになったミスてだこに勧めてくれた近所の方々に感謝しています。」

司会の本村ひろみさんにインタビューされる当時19歳の直美さん

 

初めての番組生中継(RBC)を担当した那覇まつり(国際通り)

放送業界での試練

 人前に出る事や話し方の基本を身につけた直美さんが選んだ道は「放送業界」。ラジオ沖縄(ROK)のオーディションをきっかけに、その後20歳で琉球放送(RBC)のTV・ラジオのリポーターとして活動。最初は自信もなく声も小さかったという。
「最初は無表情で棒読みでした(笑)。いつも、ディレクターさんから厳しい指導を受けていたので、レポートがうまくいかなかった日は放送局に帰りたくなかったですね。しょっちゅうメイクルームで泣いてました。」
 それから、仕事が仕事を教えると言う様に少しずつ成長、と同時に幅広く活動するようになり、様々なTV、ラジオ番組に出演する。人気CMやナレーション、司会などの仕事を通じて視聴者の皆さんから、やっと名前を覚えてもらえるように成る。そんな時、多くの女性たちがターニングポイントを迎えるという運命の「27歳」に、直美さん自信も何故か自然に節目を迎えたという。

 

留学 〜27歳の大決断〜

 大学生の頃から憧れていた海外生活。「今しかない!」と思い立ち、選んだ留学先は、日本人の居ない所という希望から、冬の平均気温−20℃という寒さのカナダ、ウィニペグ。真冬日にはー40℃にまで下がる長い冬を含む1年半の間、レッドリバー大学(Red River College)に在籍。
 そこで過ごした夏休み、現地の小学校を訪れ子ども達と文化交流するボランティア活動に参加することになり、多くの子ども達に出会った。そして、「ある時、とても可愛い小さなアジア系移民の子どもに出会い、深く考えずに、何処から来たの?どうしてココに来たの?と尋ねてしまったんです。その子は、『ぼくは、ベトナムから来たんだ。ここが平和で、戦争もないから!』と答えてくれました。その時に初めて自分の恐ろしい平和ボケに気付かされ、ガツンと心に大きなショックを受けました。甘えている自分や、感謝すべき事がたくさんあるのに、小さい事で悩んでる事が急に恥ずかしくなり、世界はそんな場合じゃない所も沢山あるんだ。とその子に教えられたような気がしました。」

「ここで出会った世界中から集まった多くの人々と友達になることが出来て、多くのことを学びました。その事が今でも大切な財産となっています。」

 

クラスメイト カナダ留学中キャンパスにて

カナダ留学中 ボランティアで小学校を訪ねて

 

離れてみて分かった「沖縄」の良さ

「留学先では世界中から集まって来た様々な友達ができたお陰で視野が広がった気がします。そして更に沖縄へのアイデンティティーも強くなりましたし、自分でも驚いているんですが、外に出たお陰で、ウチナーンチュがこれからの沖縄をどう導いて行くのだろうかと考えたりする様になったんです。(笑)」 
「そのほか、県広報番組の『うまんちゅ広場』で『世界のウチナーンチュ大会』のレポートをした際に、様々な言葉が会場を飛び交っていることに驚き、ウチナーンチュが世界中に広がっていることを実感しました。そんな中、『だぁー、サーターアンダギー食べなさい!』とウチナーグチ(沖縄語)で喋りかけてくる世界のオバー達はやっぱり、沖縄のオバーそのものでした。なんだか、大きな家族みたいだと感じたんです。世界のどこにいても「いちゃりばちょーでー」という沖縄の心を忘れていないんだなぁと感動しました。」

 

10年ひとむかし

 留学を終えて、再び放送の仕事に戻ることが出来たことに感謝。この10年を振り返ってみると、色々失敗もあり、ラジオの生番組でレポーターを担当した時に、街頭でつかまえた人に本番直前に逃げられて慌ててドブにハマって血だらけの足でレポートした事もあったが今では笑い話。
 また7年間レポーターを担当した「ちびっこチャンピオン」という番組で紹介した当時の小学生がもう20歳になってて声をかけてくれたり、中にはお笑い芸人になった子もいて「一緒に仕事ができるとは思っていませんでした」と言われたりして、「続けてきて良かった」と思うと同時に「大きくなったね〜!」とお母さんみたいな気持ちになるという。

RBCテレビ番組 マクドナルド「ちびっ子チャンピオン」(1999)

RBCビタミンラジオ「ただいま放送中!!」(2001)

ハートフルデイ チャリティコンサート(2005)
かでかるさとしさんと総合司会をさせていただきました

 

心のよりどころ

「実はネガティブなんです」
 いつも笑顔の直美さんから意外な言葉だった。自信をなくして落ち込んだりすると、思い切って泣いて、その顔を鏡で見て「すごい顔!」とまた笑顔を取り戻して前向きになるように努力した。仕事のストレス発散は旅に出る事。いろんな刺激や驚きに五感を磨き、自分を成長させてくれた。そんな気持ちが不安定な時も、留学している間も、ずっと支えてくれていた彼と2004年9月、結婚。
「嬉しさ2倍、悲しさ半分って言うじゃないですか、あれ本当なんですね。人生のパートナーが心のよりどころとなって、気持ちにゆとりが出来ました。」
 最初は家庭と仕事の両立が大変だったけど、今はその生活を楽しんでいるという。その気持ちと経験を生かせてとても役立っているのが結婚式の司会だとか。
「結婚式は、人それぞれの様々なドラマを見せてくれます。司会は、その二人からいつも感動と幸せを分けてもらえるのでとても好きなお仕事として続けています。」

 

人生の旅に出よう

「20代の生き方で30代が決まる、と言われて来たので、30代は素敵な40代になる為に人間性の奥行きを広げる活動をしながらいろんな資格を取りコツコツと頑張りたいです。」
 以前、病院や各種施設などで絵本の読み聞かせや紙芝居をしたりと、「声」を使ったボランティアを行ったこともあり、これからも、地域や、人々の役に立つ活動に参加して行きながら、今後は英検準1級取得を目指して勉強し、語学を活かせる仕事やいろんな可能性にチャレンジしたいという。
 また、昔とった杵柄も大事にするそうです!
「以前、テレビCMで有名にしてくれた皆さんお馴染みの久茂地スクランブル交差点を走るわたし、そう!『能登の海』のCM、もう、あの頃のような走りは出来るかどうか分かりませんが(笑)」
 今年のてだこまつりでは走るMC?で出演する直美さんを応援しに行こう!

 

★當銘直美さんプロフィール
●名前:當銘 直美(トウメ ナオミ)
●出身地:浦添市
●身長:163cm
●趣味:琉球舞踊、英会話(英検2級)、お散歩、旅行
●1993年 沖縄大学短期大学部英語科 卒
●2002年 カナダ レッドリバー大学(Red River College) 留学
●これまでに出演した主な番組
 ★県広報番組「うまんちゅ広場」(民放3局で放送)
 ★琉球放送(TV)「今日もお昼前」「ちびっ子チャンピオン」「ゆん卓サンデー」
  「auオレンジタマゴ未来塾」「民謡芸能祭」他
 ★琉球放送(ラジオ)「柳卓のでっかい朝」「岩ちゃんのビタミンラジオ」
 ★沖縄テレビ「JTAゴルフカップ」「ライオンのハイサイ新婚さん」他
 ★ラジオ沖縄「フレッシュモーニング」(アシスタント)
 ★FM沖縄「LOVE COMES TRUE」(サザンステーション)

 

掲載:2007/5/7

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