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ティーダな出会い 第7回 - 平田大一さん Vol.2

 

島の人は自然が相手
ここでは子どもたちが相手
舞台が畑で、子どもたちは成長し稔るキビ
てだこホールのこけら落とし公演「太陽の王子(てぃーだのおうじ)」を演出したのが、演出家の平田大一さん。
 舞台は、浦添ゆいゆいキッズシアターの子どもたち約70名が出演して見事な演技を披露し、大成功でした。
平田さんが手がけたうるま市の中学・高校生による現代版組踊『肝高の阿麻和利』は2000年の初演以来、'07年2月には第100回目の公演を達成。経済効果は概算で1.7億円とも言われています(参考資料/琉球新報・けいざい風水)
今回は、小浜島での暮らし生活そのものが詩人的な生活そのものと語る南島詩人・平田大一さんが舞台の上で子どもたちを相手に感動の種を蒔く演出力の源(キビ刈り援農塾)についてのお話を聴かせていただきました。
そして、沖縄の新しい産業の形「感動産業クラスター構想」を提案し、タオファクトリーを立ち上げるまでの平田さんのインタビューをどうぞお読みください。

≫ 第1回目のインタビューはこちらから


古くて新しい芸術的な島の生活
舞台で学んだものを周りに広げていく子ども達


 「自分が生まれた小浜島での暮らしというんでしょうか。僕は南島詩人という名前で詩の創作活動をやっているわけですが、それは、島の人の生活そのものが詩人的な生活だと思っているからなんです。潮の干満、気圧の高低、月の満ち欠けを読みながら自分達の暮らしを立てていく。そこにはタイムカードも週休二日もなければ、生きることイコール仕事、働くことであり、働くっていうことがそのまま自分の生き様だったりするし、それが芸術作品だったりするわけですよね。そういう面では、僕は新しい生き方ではなくて、むしろ島の人が昔やってた古い生き方を、たまたま田畑の代りにホールがある感覚でやっている。昔の人達の方が古くて新しいんだと。
 島の人は自然が相手、ここでは子どもが相手。僕は人作りは種って言ってますんで、ホールが畑で、子ども達がキビ1本ずつに見える時があるんですね。『あ〜キビが育ってる育ってる、稔ってる稔ってる!これはいいなあ』と(笑)。
台風も来れば旱魃もあれば、それでキビは伸びていくわけで、そういった面では僕の町づくりとか町起こしっていうのは、島の中に答があるというか。答は元々そこにあるけれども気付いていない。その気付きの作業をさせるのが僕の仕事だと思っているし。」

 

小浜島の援農塾時代

 

 「僕が作る舞台って木の精霊であったり森の精霊であったり、キジムナーみたいなものだったり、今回(太陽の王子)も『58・ゴッパチ』『330・サンサンマル』という道路の精霊が出るわけですよ。つまり目に見えないものが存在していると。こういうことをまともなテレビ番組で人には聞こえない声が聞こえますってやったら、スピリチュアルな世界に入りますよね。だけど舞台ってファンタジーのオーラですべてありえるわけです。そういう面では舞台の可能性ってすごいなあと思います。目に見えないものを見せることもできるし、声を聞かせることもできる。
 今回も『眠る城(グスク)の声をきけ』というサブタイトルを付けましたけれど、グスクはいつも語ってるんだというのがテーマですから。それをキャッチできるかできないかは、人間がその地域のことを知ろうというアンテナを持たない限り、声はキャッチできないということで、子ども達はこの舞台を通して、グスクの声を一生懸命聞こうとがんばると思う。きっと聞こえてくるはずです。それは結局イマジネーションなんですね、英祖って何を考えてたのかなあ、っていう。現実の生活でいえば、友だちはなんであの時急に怒ったのかなあとか、あの子はなぜ泣いているんだろうかという、相手の気持ちを知る想像力というか。コミュニケーション能力の向上だとか、チームビルディング、仲間作りの方程式であったり、表現する楽しさだったりなどを舞台を通して学ぶんです。そしてここから育っていった子ども達が次のゆいゆいキッズシアターを作っていくわけです。それは学校とか子ども会とか、その子ども達の周りにも広がっていく。
 今回のテーマで、刀より大事なものは何かと言われて、人と人を結ぶ『結の心』だ、と英祖が答えるシーンがあるんですけど、僕達はゆいゆいキッズシアターで、力や刀、権力よりも大事なもの、それは分断したり批判したりする文化じゃなくて、繋がっていく、結んでいくという文化が一番大事な文化じゃないかということをこの舞台で学んだ。そして舞台で学んだものは、学校生活とか部活動とか生徒会活動とかに生かしていく。そういう道具をこの舞台で手に入れて、現実社会に打って出て行くというか、がんばって欲しいという僕の希望が込められています。

 ゆいゆいキッズに関わって8年目ですが、子ども達が自由に表現し出すと、親も、この町で生きている一人なんだ、表現したいんだっていう気持ちが出てくるみたいです。自分の存在を確認する作業というか。生まれた町を知るということが自分の根っこ、アイデンティティーを知ることになる。根っこというのは生まれた場所だけじゃなくて、引越しして来た人達にとっても根っこであるわけですから。そこが魅力なんだと思います。」



「太陽(てぃーだ)の王子・眠る城の声を聴け」より

 

島で当たり前のものが世界から見ると刺激的
元からあるものをジョイントさせて新しい光を当てる


 「僕は大学を卒業して22歳から8年間、ちゅらさんが来るまで小浜で、実家の民宿うふだき荘をやりながらキビ刈り援農塾をしていました。キビ刈り援農塾というのは、宿泊料を無料にするかわり労働力を提供して欲しいということで始めたものです。初日に手の皮をむいて、三日で肩の皮をむいて、一週間で心の皮をむきたい人集まれと全国に呼びかけました。今年で13年目になりますね。僕が小浜を出てからも続いていて、名前も援農塾から小浜島ふるさと農業倶楽部に変わりました。昨年父親が亡くなったので、一旦閉塾したんですが、今年の8月にまたオープンする予定です。体験型の民宿は、あの頃はうちしかやっているところはなかったです。僕がずっとやってることっていうのは、今、島が、沖縄が必要としていることを、 ひたすらやっているだけなんです。」

 

 

 「援農塾も、農業と観光のジョイントということを考えた時に、必然的にうちには民宿があってキビ畑があって、それしかできなかったんです。普通だったら『何もないんだよね、これしかないんだよね』と言うんですけど、じゃあこれとこれをジョイントさせると、こういうふうな新しいことができますよ、というのが僕の提案なんです。だから決して新しいものじゃないですよ。元々あったものを、光の当て方やアプローチを変える。例えば18年前に作った『ミルクムナリ』という曲もそうです。島にあった古いものを、日出克さんと一緒に唄って踊れるようなものにしようということで口説ち(くどぅち)を入れると。島では古いもの、当たり前のものが世界から見たら刺激的なんじゃないか、やってみせよう、というのが『ミルクムナリ』のコンセプトだったんです。
 だから英祖にしても阿麻和利にしても察度や八重山のオヤケアカハチにしても、全部島にある古いものですよね。それを光の当て方を変えアプローチの仕方を変えて演出をしてあげると、見事に生まれ変わり再生してくれるんです。キビ畑も、キビ刈りはもうみんなイヤだイヤだって言うから、じゃあ楽しいキビ畑をプロデュースしてみようというのが、南島詩人農場という名前で始めたキビ刈り援農塾なんです。当時は10人ほどだったのが、今は年間延べ2000人来ますよ。キビが終わったら次は黒ゴマとかモズク、島らっきょうなど、収穫物の期間が変わりますから、3ヶ月とか半年間いる人もいますよ。僕は島起こし島作りというのは、島の人だけじゃなくて、島の外の人も一緒になってやるべきじゃないかなあという思いがあります。そうじゃないと、目線が片っ方だけの視点になってしまう。」

 

 

 「今、子ども達に地域のことを一生懸命やってもらってますけど、僕は一流の島ンチュが一流の国際人だと思うので、地域で学んだものを基にして、世界に発信していく。視点は郷土だけど視野は世界へというか、そういうリーダー作りが子どもにとって大事なんじゃないかと思います。芸能人や有名人を作ることが目標ではなく、地域のことを良く知る子ども達を作る、それを育む場所が舞台ということです。そのシステムが今の僕のやり方なんじゃないかと思います。卒業した子ども達が成長して、学校の先生になりたいとか、保育士や介護福祉士になりたいと思った時に、自分たちが子どもの頃に学んだものや経験が活きてくるのだと思います。」

 

小浜島の民宿・うふだき荘にて

 

タオファクトリーを立ち上げる
沖縄の新しい産業の形「感動産業クラスター構想」


 「事務所は2005年にオープンして3年目です。有限責任中間法人タオファクトリーというんですが、簡単にいうと有限会社とNPO法人の間、という感じの組織形態です。社会起業家(social entrepreneur/ソーシャルアントレプレナー)と言って、地域活動や文化教育活動はボランティアで行なうもの、みたいなイメージがあると思うんです。でもそうじゃない。活動は継続しないと意味がないから、そのための自主財源を作り出す、継続可能な事業を作り出すということが命題です。それを行なってきたからこそ、阿麻和利は9年目、浦添は8年目というふうに継続できているのです。
 これがほんとの意味でのボランティアだったら継続はむずかしいですよ。10年なんてむずかしい。自主財源を作り出すシステムというのが大事で、それはNPO法人の寄付に頼るというのとは違う。有限会社のように利益を追求できるけれど、それが地域に還元できている社会性のある活動と、利潤を還元していくということと両方あるので中間法人という名前なんです。有限会社というのは利益追求がメインですけど、大きな意味で地域に『還元していく』という仕事が利潤に繋がっている。利益を生み出すことに繋がっているのであれば、これこそほんとに循環型の事業になってくる。
 これはまだ日本でも珍しいやり方です。ですから竹中大臣が『文化でもって地域再生をかなえている先行的な事例の一つです』と何回も足を運んで来られたんです。沖縄ではあまり知られていないかもしれませんが、県外の方が注目しているのは間違いないと思います。子どもの舞台だからとか、若い人が元気にやっているねという話ではなくて、沖縄ならではの新しい起業の形・新しい仕事の形なんじゃないかと僕は思ってるんです。

 それこそ基地に代わる次の産業というのは、まさに感動体験を軸にした文化産業というか、よく感動産業クラスター(ぶどうの房/同種の物や人の集合体のこと)構想と言うんですが、今、沖縄は健康産業クラスターなんですよね。その前はIT産業クラスターだった。次の沖縄の命題が何かというと、文化産業なんですよ。でも文化産業というくくりだと、芸能・音楽になっちゃうじゃないですか。沖縄は空手も古武道もあるし、スポーツも盛んですよね、マラソンも人がいっぱい集まるし。つまり、スポーツや文化芸能も含めて感動体験ができる産業、感動体験型産業を略して感動産業と言うんですけど。それを感動産業クラスター構想と呼んで、僕はそれを主軸にしていろんな仕事が生まれてくるという形が、沖縄の新しい仕事の形なんじゃないか、という提案をずっと県に対してもやっている。それの実践的な事例なんですよ。」

 

次回に続
(平田さんのインタビューを3回に分けてお送りしています。次回が3回目。乞うご期待下さい。)

 

★プロフィール
「平田大一(ひらた だいいち)」
南島詩人/脚本・演出家、有限責任中間法人タオファクトリー代表
1968年沖縄県小浜島生まれ。1999年から与勝地域の子ども達による「現代版組踊・肝高の阿麻和利」を、05年から本格的な舞台「現代版組踊・大航海レキオス」
の脚本・演出を手がけ、県内外から好評を博す。
4年間務めた公共文化施設「きむたかホール」館長を卒業後05年4月、有限責任中間法人TAOFactoryを設立。現在は那覇市芸術監督、国立劇場おきなわ外部専門演出家に就任。
また、浦添市においては2000年から「ゆいゆいキッズシアター」の脚本、演出を手がけ、浦添(仮)てだこホール建設検討懇話会会長も務める。
96年に「第1回島おこし奨励賞」、03年「第42回久留島武彦文化賞」、04年には「第27回琉球新報活動賞」など受賞多数。今、沖縄で最も注目される、行動する詩人、若き演出家として絶大な支持を集めている。38歳。

 

掲載:2007/6/19

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