私の愛犬JJ君
私が研修医として働いていたある日、「先生この犬、車で轢いたんだけど、死なないから殺してよ」と一匹の汚いマルチーズが私の目の前に置かれた。しかし、車に轢かれた様子はなく、すかさず私は「大丈夫です。安楽死しなくてもいいですよ」と言ったが、相手も「安楽死」と一歩も譲らない。
そこに院長登場、「あんたら殺す為に轢いたんなら置いていけ!」。飼い主さんが帰った後、「生かしてやれよ」と一言。何か非常に後味の悪い思いを引きずった。
来院した時のジェジェ君は、両目失明、栄養失調、腎・肝機能低下、全身皮膚病、起立不能、そして棒などで叩かれた背中の無数の傷跡と、ひどい虐待を思わせるものだった・・・。
「この子は辛かったなぁ、もう長くは生きないし、残された時がわずかなら、せめて愛されている事を感じて亡くなって欲しい・・・。よし、一緒に暮らそう」と決心し、JJとのふたり暮らしが始まった。
早速治療開始、日を追って元気を取り戻していった目の見えないJJは、震えながら大きな声で吠え続けた。少し身体に触れてやると落ち着いて眠り、ちょっと離れるとすぐに起き吠え出し、片時も離れることができなかった。いかに恐れと不安の中で生きていたかが伺える。
JJは元気になったとは言え、相変わらずガリガリ、ヨレヨレ、マルチーズというより小ヤギという感じ・・・そんなJJを母に会わせると、「この子は何なの」と驚きながらも、その日から母がJJの面倒を看る事となった。「ママの好きなジェジェ♪ジェジェ」歌を歌いながら遊び、我が子の様にお話をし、JJは無条件に自分が大切にされている事を体感していった。その後のJJの変化は、医学による治療の粋を超えるものであり、その回復ぶりは15歳の命を全うするまでとなった。
JJの壊れた命は、目には見えないけれど確かに存在する愛の力によって生かされ、見事に変えられていった。21世紀を迎えた今日の医学でも解明出来ぬ命の問題は、偉大なる神の奇跡そのものであり、すべての命に必要不可欠なものは「愛」に他ならないと考える。 |