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エッセイ  - 名所を旅する(1)
名所を旅する   津波 清
(浦添市立図書館長)


京都教育大学卒
県教育庁文化課
県立図書館史料編集室
県立浦添工業高等学校長 他


京の紅葉、吉野の

 もう、40年前になるが、4年間の学生生活を京都で過ごすことができた。高校時代まで「マットーバー」(正直者という意味)という言葉に象徴されるような実直でまがったことの嫌いな生徒だったと自負していたが、その反動か、大学生活は酒を覚え、酒におぼれ、実にふしだらな不良学生の典型だったような気がする。
 実にこわいことではあるが、大学生活のふしだらな生活はその後の長い人生の中でなかなか修正できないままに引きずってきた感がある。いまごろ反省してもあまり意味のある話ではないが・・・。
 ここ近年、フリーな時間が増えたせいもあるが、不良学生だったころの京都がひどくなつかしく思い出されるのである。春は円山公園のしだれ桜、夏は大文字の野焼きや祇園祭、秋は嵐山の紅葉、冬は底冷えのするたまらない寒さの中で、寺院の屋根や庭に降り積もる雪景色もみごとである。

 昨年秋とこの春、京都、奈良の吉野山を訪れる機会に恵まれた。これは長い間苦労をかけてきた妻からの提案であった。「紅葉が見たい」「桜が見たい」「京都がいいね」「吉野はどうだろう」、このようななんとなく交わす会話の中の誘いを断る理由はまったくないのである。
 昨年11月初旬に訪れた京都は見頃を迎えた紅葉というより、これからいよいよあでやかな錦絵の衣をまといはじめたか、という段階であったが、それはそれで一興な風情であった。
 妻が散策を提案した山深い吉野は南北朝時代の歴史のロマンを秘めた由緒ある桜の名所である。一度は吉野の桜を観賞したいという私自身の希望とも重なり、今年の春は一計を案じて「吉野千本桜」を巡ることにした。吉野山は日本の心を象徴するような味わい深い花見を体験させてくれると聞いていた。  

 期待が大きければ大きいほど、それが裏切られた時の落胆も大きい。吉野はまさにそうであった。4月16日は情報によると「上千本桜」がもっとも見頃である、ということであった。しかし、バスにゆられて見る「下千本桜」「中千本桜」「上千本桜」「奥千本桜」とも道辺の桜は散りすぎていた。加えてあいにくの雨と濃霧に災いされ、展望がまったくきかず、天下の桜の名所はほんとにここなのか、と思わせるほど最悪の状況であった。かろうじて中千本から徒歩で下山した際ところどころ霧に包まれながら咲き乱れる桜に出会い、その幻想的で雄大な風情にやっと救われた気分にひたることができた。

 

掲載:2007/4/24

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