エッセイ - 「心から出ず(いず)。願わくは心に至らんことを」 |
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ピースベルフェスティバル2005年度よりボクが作詞・作曲した♪「HEIWAの鐘」が全国の高校3年生の音楽教科書(音楽之友社)に採用された。 この曲を作ったきっかけは、ボクが東京で活動する中、米兵による少女暴行という残忍な事件が起きたことが大きな影響になった。 沖縄に住んでいる頃はこういった事件や事故は日常的な出来事であったため、怒りと悲しみの気持ちはあったが残念ながら、そのことに対して行動を起こすまでには至らなかった。 しかし、沖縄を離れて沖縄への想いが強くなった。このままでは自分の故郷が危ない、平和のために何ができるだろうか。沖縄のために何ができるだろうかと真剣に考えるようになった。ボクにできること。それは音楽で平和のメッセージを届けることだと思った。 ベートーヴェンが愛した言葉に「心から出ず(いず)。願わくは心に至らんことを」とある。音楽に国境はない。ダイレクトに「心から心へ」飛び込んでいく。ひとつのメロディーに宇宙のリズムを宿らせ「平和への願い」の弦をかき鳴らしていく。 「HEIWAの鐘」の歌詞の冒頭に「よみがえれあの時代へ 武器を持たぬことを伝えた 先人たちの声を永久に語り継ぐのさ」と綴った。先人たちの平和思想、芸術文化を平和外交の推進力としてきた生きざまを学び伝えたかったのだ。 ライブで歌うメッセージ曲として作った「HEIWAの鐘」が高校教科書に採用されるなんて夢にも思わなかった。さらに子供達が合唱コンクールなどで歌うことも創造できなかった。 そして、HEIWAの鐘(ピースベル)「ピースベルフェスティバル」を開催できることも感慨深く感謝の思いでいっぱいだ。 ボクの恩師は「我々には不戦の誓いと平和のために行動する義務と権利と使命がある」と教えてくれた。思えば、小学校の頃より慰霊の日を前に平和学習をしたことも、平和の魂が染み入るように刻まれてきたのではないかと感謝する。 2008年8月6日。広島を皮切りに「ピースベルフェスティバル」を開催した。 前年の6月に広島・西志和小学校で学校コンサートを行ったことが縁で保護者、先生、地域の皆さんとの交流が深まり「ピースベルフェスティバル」開催へと動き出したのだ。 原爆が投下されたこの日に「平和だからこそ、こんなにも楽しい」とのタイトルを掲げての開催だった。企画の段階で「厳粛の中に楽しいことをやってもいいのか」との意見も出た。 しかし、ボクは被爆者、戦没者ためにも「二度と戦争を起こさせてはいけない。そして、平和を尊び、平和の歓びを歌い上げていく」ことが未来への希望だと思ったのだ。「悲観よりも希望を」「諦めよりも挑戦を」未来に希望を抱ける内要にしたかったのだ。 広島・西志和の皆さんは「ピースベルフェスティバル」の趣旨を快諾し、実行委員会を発足してくれた。委員会のメンバーは皆、イベントを経験したことのない素人であった。しかし、平和への情熱は大きかった。 開催にあたっては資金も組織も何も無い中でのスタートであった。みんなで仲良く団結し協議を重ね、企業から協賛金を募ることにした。メンバーは平和の想いを語りながら74社から協賛金を集めることに成功した。おかげでボクは広島までサバニに乗らず飛行機で行けるようになったのだ。 演目も子供達の歌や踊り演奏と婦人会の太鼓やダンスなど盛り沢山の内要が準備された。本番当日、多くの市民と熱気に包まれて西志和小学校体育館で「ピースベルフェスティバル」が幕を開けた。 「平和だからこそ、こんなにも楽しい」懸命の演技に平和のハーモニーが幾重にも奏でられた。出演者、スタッフ、観客が一体となって真心と優しさ溢れる平和のココロを響かせてくれた。大・大・大成功のフェスティバルになったのだ。来場者からも「平和への関心が深まった」との感想が多く寄せられた。また、打ち上げではみんなが大笑いし、大泣きして感動を分かち合った。 2008・8・6 広島で行われた「ピースベルフェスティバル」 「感動があるところに平和がある」ことを学んだ。 「ピースベルフェスティバル」は勇気と希望である。 未来を担う子供達のためにも、そして後継を支えていく大人のためにも、平和の行進を明るく楽しく元気よく奏でていきたい。
♪ぼくらの生まれたこの地球に奇跡を起こしてみないか 来る9月14日(日)浦添市役所ひろばにて「ピースベルフェスティバル」を開催します。 ぜひ、ご家族そろってご参加ください。(入場無料) 「ピースベルフェスティバル」開催地
8月6日(水)広島・西志和
★このフェスティバルの信念はユキヒロ オフィシャルHPでもご覧になれます。 |
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掲載日:2008/9/10 |