
Q. 女優、演出、脚本、司会とマルチに活躍されている照屋京子さんですが、いつごろから演劇を仕事にしたいと思われたのですか?
照屋「中学時代は美術、高校時代は合唱部、大学になって仲間と演劇サークルを作ったのです。その頃から出演して、演出して、脚本も書いていました。当時は小劇場運動の全盛期で、国際通りにジァンジァンがまだあって、おもしろい演劇を見ることもできましたよ。演劇が面白くて面白くてたまらなかった。だから大学卒業後も就職はしないで、アルバイト生活で劇団活動をしていたのです。
その一方、当時テレビに出てた幸田シャーミンさんのようなニュースキャスターもやってみたいと思っていました。偶然知り合いのディレクターに勧められ、レポーターとテレビのお天気お姉さんのオーディションを受けたら受かり、それから琉球放送の仕事を始めるようになりました。もちろん最初はアシスタント的な仕事ばかり。もっと仕事がしたい、もっと任せて欲しいと、毎日ディレクターに頼んでいました。
エリアレポートのキャスターを任されて7年間。同時に芝居もずっと続けていたので、本当に二足のわらじを履いた状態でした。テレビの本番が終わってそのまま走って行って舞台に立つという離れ業のようなこともありました。」
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 「ティーダな出会い」第1回のゲストは女優の照屋京子さん 忙しいお稽古の合間をぬってお話していただきました
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