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2007年 新春特別インタビュー

街づくりから
成人式を迎えてこれから様々な岐路に立つ若者への応援歌まで
夢と希望を持って、前に進むこと!


あけましておめでとうございます。
新年の幕開けにふさわしく、儀間光男浦添市長のインタビューをご紹介いたしましょう。
といっても、今回は政治家・儀間光男からの堅いメッセージではありません。 市民として、あるいはひとりの人間として語っていただきました。
若いみなさん、特に十代から今年成人式を迎える方たちに、ぜひ読んでいただけたらと思います。

理想郷浦添市を目指して

「子供たちが安心して生活でき、夢と希望にあふれ、世界中の人が住んでみたいという街にしたい。」

 新年明けましておめでとうございます。
 今年も市民のみなさん、そして浦添市がさらなる発展をすることを祈念しております。

 
 さて、浦添市は市民の平均年齢が36歳の若い街です。
 子育て支援など、次世代を担ってくれる子供たちを大事にする行政を進めてきました。子供たちが健全に育つことこそ、将来の浦添市のため、沖縄県、また日本のためです。教育も大事ですが、子供たちが育つ「場所」も大事です。
 戦後、日本の国は、それいけどんどんで、経済優先で環境を破壊し、ついには家族も破壊しかけています。都市では核家族でみんなばらばら。核家族化が進むに従って、地域の力、「地域力」が低下してきました。
 昔ならその地域の大人が子供を守り育てた。他所の子でもコラッ!と叱ったものです。それが今では知らん顔ではないですか。もう一度、地域力を回復して、地域力のある街にしなくてはならないのです。

 環境問題、教育問題などなど、確かに今の社会は多くの欠陥を抱えています。家族の小さな力では解決できない問題も、地域全体の「地域力」があれば乗り越えられる。今の時代の欠陥を治す一番の特効薬は、「地域力の回復」だというのがぼくの信念です。

 もう一つの浦添市が前に進むための力になるのは「物作り」だと考えています。
 浦添は歴史文化の集積された街ですが、歴史だけでは前に進めません。街が明日へ前進する力は、生産力です。物を作って地域で消費する「地産地消」。それで雇用も安定して、個人の所得も安定してきます。

 ※国から認定書が下りている浦添市の地域力アップのための施策
 平成14年度 情報通信産業振興地域及び情報通信産業特別地区
 平成15年度 浦添市英語教育特区
 平成18年度 てだこの都市(まち)ものづくりタウン計画
 平成18年度 一人ひとりが輝く男女共同参画社会のまちづくり(地域通貨「察度」)

 市民が安心して暮らせて、安定して、安全な生活ができる街。世界中の人に「住んでみたい街」といわれ、ここに来たらなにかある、散策するだけで夢や希望があるといわれる街にしていきたいのです。
 大きな夢と言われるかもしれませんが、夢を描いて、それに向けて進むことが街も人も大事です。留まっていたら何もならない。


二十歳を迎える若者たちへ

「過去を振り返ることも大事だが、振り返って戻ってしまってはいけない。前に前に進むことです。」

 昨日は今日のために、今日は明日のためにあるとぼくは考えています。つまり、過去から現在、そして未来と順番につなぐのですが、どのようにそれを明るく展開させるか・・。そのエネルギーは夢や希望です。夢と希望がないと、前に進めないではないですか。

 夢を持つのがむずかしい時代だといいますが、なにか新しいものを見付けたら、そこで試してみること。そこに夢が見つかるかもしれない。これをちょっとやってみようかなと思ったら、迷わず行動することです。それはあなたが今、描いている夢ではないかもしれないけれど、ともかくやってみる、動いてみることです。だまって座っていたら、何もつかめません。


20歳のころの儀間光男さん

「青年海外協力隊に行くつもりだったが病気で挫折。
現実を受け入れるしかなかった、これが転機でした。」

 
 成人式も出れない貧しいアルバイト学生でした。土方から煙突掃除、ギョウザ屋の皿洗いと、本当にいろんな仕事を経験しましたよ。苦労したなといわれるけれど、それなりに楽しかったです。
 ぼくは伊是名の出身ですから、土に生涯を賭けたいと思っていました。大学の専攻も植物生理学でした。土と離れないぞ、足裏に土の感触を忘れないぞという気持ですね。立派な百姓になりたかった。そして儲かる農業、農民がもっと大事にされる近代農業を目指したかった。研究者でも何でもいいから、農業に関係した仕事をしたいと思っていたのです。
 だから、今でも物を作ることが大事と信じています。「手作り工芸町屋構想」などにも出しているのですが、「物を作ること」はライフワークであり、ぼくの変わらないポリシーです。

 23歳の時、農業での青年海外協力隊でインドネシアに行く予定でした。すべて合格していたのに、最後の検診で肝臓の病気が見つかってダメになった。日本の最新技術で農業を指導しようと張りきっていたのに・・・挫折した。二ヶ月入院でした。体を蝕んでいる病気は自分のせいなのだけれど、それを人のせいにしてみたり、マジメに一生懸命しているのになんでぼくは・・とヤケにもなりました。

 挫折して屈辱を味わう・・・、若い人たちにもこれはぜひ言いたい、非常に大事な経験です。
 人生トータルで10だとしますと、その7くらいは挫折と苦労の連続です。残りの2,3割で成功することができれば、それでいいではないか、というくらいのモノです。苦しみが大きければそれだけ喜びも倍化すると思ってください。3割の喜びがあれば、苦労の7割を十分に埋めてなお余りある。
 いまだにぼくも、暗中模索と挫折を繰り返しています。それはスランプと考えています。我慢して耐えて、諦めないで続けることです。そこで放り出すことは逃げることになります。何度でもチャレンジすることです。



岐路にたったとき?

「現実を受け入れて、新しいスタートをすること。」

 二ヶ月入院したとき、もう現実を受け入れるしかないと思いました。事実を認め、新たなスタートを考えるしかない。ぼくには何ができるだろうか、と考えたのです。そして沖縄に帰ろう、帰って沖縄の農業の生産従事者を手伝おうと思ったのです。もしインドネシアに行っていれば?さあ、それはどうなっていたかはわからないです。ただ、今あることを現実としてそのとき受け入れた、だからこれでよかったのです。
 いつも船の航海にたとえるのですが、一端、進路を決めたら、波の動きで船首は多少ジグザグになるかもしれないが、航跡は真っ直ぐ進んでいる。そんな風でいれたらいいなと思うのです。

 

★好きな言葉
  身持ち 美らさ (躾・肝美らさ)
  仕情 深さ (義理人情に厚く)
  事 柔らかさ (和合)

この言葉に出会ったときは感動しました。 30年ほども前、伊江朝雄氏(元参議院議員)の別荘伊江御殿に伺ったとき、床の間の掛け軸で見たのです。文字も素晴らしかった。以来、座右の銘です。
「琉球王朝の国是であり、三徳の訓として、伊江御殿に代々伝わる至言の一つだという。美・仁・柔と言われ、今の世相を見透かして戒めているように思えてならない」と今年、地元日刊紙に紹介しました。

★好きな女性のタイプ
清楚な人。女優でいうと…壇ふみ。
薄化粧の楚々としたところがいいなあ。

 

掲載:2007/01/01

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