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企業特集 第2回 - 上洲書店ビジネス館
ビジネス館は「感動する書店」
「コミュニティー本屋=コミホン」を目指して
地域に根ざした、まちやぐゎーのような店に

「読書文化の再興!まちの本屋の復権!」を使命に、沖縄一の本屋と文具屋を目指す上洲書店ビジネス館。筆記用具に紙製品、ハサミや接着類など、どんな会社にも家庭にも、なくてはならない文房具類。またその文具とビジネス書を中心とした品揃えで、創業54年目、ビジネス館としては15周年を迎え、未来へ向かってさらに歩み続ける元気いっぱいの会社です。

 

上江洲安徳さん(77歳)

 

昔の屋富祖大通り

 

屋富祖大通りに書店を構えた上江洲安徳さん

 

上洲書店ビル(1984頃)


創業54年を迎え、
これまでの歩みを振り返る


(株)上洲書店は、初代社長の上江洲安徳さん(77歳)が、戦後8年の1953年3月23日、民家が出来始めたばかりの浦添村屋富祖大通りに1.5坪ほどの店舗を借りて開店させました。
その頃、安徳さんは23歳。当時の出版物の仕入れは、取次ぎ(本の問屋)との貿易関係にあり、沖縄では一般的な名前の上江洲(うえず)も本土では全く読めないため、二文字とし、三隋を取った上州(うえず)を使い、当初は「上州書店」の店名にしていました。


浦添村は人口が一万三千人ほど(一説には一万八千人)で、一号線(58号線)はまだアスファルト工事の真っ最中だったといいます。自分なりに周辺地域を歩いて、市場調査をした結果、まだ人口の少ない浦添では「本だけではやっていけない」と結論を出し、文具も扱うことに。コザ市(沖縄市)の文教図書コザ支店に親戚が働いていたので、そこから「鉛筆なん本、消しゴムなん個」と文具を仕入れて、オート三輪で運んで来て売っていました。コザ十字路では戸板を広げて、仕入れた万年筆を叩き売りのようにして売ったところ、飛ぶように売れたそうです。また本は、平凡や明星、少年倶楽部、漫画王、冒険王、文藝春秋などの雑誌を、30〜40キロほど入る木箱に詰めて、那覇からバスで運びました。そして、自転車の荷台に積み込み、周辺の家庭や学校を巡って売り歩いたとか。売れ行きは上々で、特に学生さんに喜ばれたそうです。店頭では妻の菊子さんが接客係としてレジに立ち、二人三脚で営業していました。安徳さんは毎日遅くまで外回りをし、店内の整理は毎晩夜中の一時という状態が、年中無休で約10年も続いたといいます。


1963年に、店舗斜め向かいの28坪の呉服店が売りに出されました。浦添で初の二階建て呉服店で、しかも呉服もろとも引き取ることが条件だったため、値段の交渉は難航。しかし、安徳さんは「屋富祖大通りには人が集まる」という読みがありました。それで、思い切ってそこを買い取ります。そして5年ほど呉服と文具の両方を商うことになります。安徳さんの思惑通り、店は繁盛しました。その結果わかったことは、本よりも呉服の方がはるかに収益が大きいということでした。けれども、安徳さんの目的はあくまで文具と本を扱うことなので、呉服の商売が一区切りついたところで建物を1968年に新築。それが浦添市で初となる四階建てのビル「上洲書店」です。

那覇支店MAXYブックセンター(1986)

上洲書店ビジネス館(1992)

 

ビジネス館のオープニングセレモニーにて(1992)

時代は変わり、1980年代に入ると、サンエーやダイエーなど郊外型店舗ができて、お客さんの流れも屋富祖大通りから変わっていきました。また、1982年上州書店も法人化し、名前に三隋を加えた現在の「(株)上洲書店」とした。そして、浦添市の人口は、当時約7万人から8万人へ急成長していました。「本屋も、駐車場の広い広域型店舗でないといけない」と1985年にマチナトSC店、1986年には沖縄市の中部支店(中央パークアベニュー店)と那覇市のMAXY店、1997年に城間店と次々に出店。ビジネス館は1992年2月にオープンしました。その後、残念ながらマチナトSC店、MAXY店、沖縄支店、城間店、屋富祖店は撤退しました。
1997年、現社長で安徳さんの長男、徹也さん(50歳)が代表取締役に就任します。
 

そんななか、「うえずのおばさん」として創業当時から親しまれ、何千人ものお客さんの顔と名前を覚えていることから、お客さんの生き字引きといわれていた、菊子さんが他界します。

長年店売りを担当し、お客さんとの交流を大切にしてきた菊子さんに会いに、今でも十数年前に浦添から引っ越していったお客さんが訪ねてくるそうです。

左から菊子さん/山本リンダさん/安徳さん

 

社長 上江洲徹也さん

 

上江洲智子さん

 

従業員を生まれ変わらせた
心と心の正直な対話


徹也さんは、東京の大学を卒業後、文具のトップメーカー、コクヨに入社。コクヨには、次代の文具店主を育てる独特の研修制度があり、二年間営業を経験しました。そこで経理をしていた千葉県出身の智子さんと出会い、4年間の遠距離恋愛を経て結婚します。
現在は、自分からすすんで店頭でお客さんに声をかけたり、イベントを仕切ったりと、元気いっぱいの智子さんですが、実は結婚後、重度のノイローゼになったそうです。毎日の生活を維持することの大変さや、出産後のマタニティーブルーがきっかけでした。一時は入院も考えたほどで、うつの状態は18年も続いたといいます。
「自分の存在感がないっていうか、自分っていてもいなくてもいいんじゃないって思うからうつになるのよね。床ずれがするぐらい18年間も寝てた」そうです。その智子さんが今のように明るくなったのは、一年前のあるできごとからでした。

徹也さんは社長として外でいろいろと勉強した知識や方法を会社に持ち帰って、何とか社員に伝えようとするのですが、なかなか自分の言わんとするところが伝わらない。
「社員はちゃんと聞いているだろう、自分のいうことは伝わっているだろうと思っていたのに、それが伝わっていなかった」そうです。結局男性の正社員は全員退職をしてしまい、残ったのはパートの女性従業員だけに。固定観念で、社長は「パートの女性だから、正社員と同じような仕事は要求できないだろうなあ」と思っていたそうです。
そこで社長は悩んで、自宅で寝ている智子さんに「(僕は)もう無理だよ、会社はできないだろう」とつい愚痴ってしまいます。すると18年間もOFFの状態だった智子さんのスイッチが突然ONになったのです。「会社をがんばって続けていこう」そういう気持ちで去年2月から智子さんが経理に関わるようになります。

その頃、上洲書店主催で、中村文昭さんの講演会を初めて開催します。その後4月には、義足のランナー、島袋勉さんの講演会、6月には熊澤南水さんの朗読の会など、次々に開催。講演会は徹也さんがやりたかったことでもありました。智子さんはますますやる気が出てきて、従業員の皆さんをまとめ出していきます。

それと前後して、社長は従業員と面談し、仕事への期待もあって時給を上げたそうです。しかし結果は期待通りではありませんでした。講演会の際にも、裏方を務める従業員が、あまり気乗りしない様子で仕事をしていたそうなのです。「講演会を聞いてもらって、たくさんの人に喜んでもらいたい」という徹也さんの思いは、従業員に伝わらなかったのです。

そこから智子さんの従業員一人ひとりとの対話が始まります。「ああいうやりかたはちょっとおかしいんじゃない?」、「イヤなら来なくていいんのよ。イヤな会社にい続ける必要はないんじゃない」「ね、リーダーってどんな風に仕事をするんだっけ?」など、キツい言葉でも、正直に本音を話していったそうです。そんな智子さんに、従業員は最初は「なんで今まで店にも出てこなかった智子さんに、そんなことを言われなきゃいけないの」という反応だったそう。それでもめげずに徹底的に対話を続けたそうです。

「本音を言い合うことで、みんな、だんだんと一生懸命やるようになったんですよ」と徹也さん。それと同時に、智子さんは、徹也さんが一度上げた従業員の時給を、いったん下げたそうです。「仕事についての対話を続けていくうちに、みんな自分の方から『私は今これくらいのレベルだから、この時給からスタートします』とそれぞれがいってくれたのよ」と智子さん。そして、少しずつ従業員の態度に変化がおきて来ました。今ではどの人も、これが同じ従業員?と思うほどの仕事ぶりだとか。仕事をすることへの自覚が生まれ、楽しく仕事をするようになったのです。従業員の態度の変化はお客さんにも敏感に伝わります。
結果として、会社全体がよい方向へ進んでいったのです。もちろんその後、時給は再度アップしたそうです。

 

21世紀型経済は感動志向
リアル店舗とバーチャル店舗
 


選書コーナー


 

智子さんが起こした変化はまだあります。お客さんがじっくり本と向き合えるように、また、気軽に子どもへ読み聞かせができるようにと、店の奥に選書コーナーを設けました。最初は「暗い」といわれていた店内の、棚でふさがれていた一面の壁を取り除き、明るい外光が入るようにしたのです。窓ガラスにはカーテンを引き、よりリラックス感を演出。

また、仕入れたはいいものの、売れずにずっと何年も棚に陳列されたままになっている膨大な数の文具類など、店内には物があふれ、ごちゃごちゃとした印象でした。その在庫を整理し、卸元に引き取ってもらうことに成功。すっきりと、どこに何があるか見やすい文具コーナーに生まれ変わりました。

お正月の餅つき大会に、バレンタインデーにはお客さんにチョコを配ったり、さらに今年の予定は、無機質な雰囲気のトイレを居心地のいい空間に改造することと、そのアイデアはとどまるところを知りません。

「わたしはね、みんなに幸せになってもらいたいの。毎日笑って暮らしたいじゃない、ねえ」と、明るくおっしゃる智子さん。従業員への気持ちも大変強いものが感じられます。
「社員のみんなには感謝しているの。みんなほんとうによくやってくれています。今年はね、サービスを体験させるためにもディズニーランドに社員旅行に行く予定なの。お金は社員のために使わなくっちゃあ」と朗らかに笑う智子さん。そのパワーと思いやりが店全体を引っ張っているようです。
そんな智子さんの横で、徹也さんはおっしゃいます。
「店は妻にまかせて、僕は別の展開を考えているんですよ。20世紀は売上志向の経済だったけれど、21世紀型経済は感動志向なんですよね。だからリアル店舗(ビジネス館)では、妻を始めみんな女性なので、女性の感性を活かし、居心地の良い、お客さん密着型の感動を与えられるような店舗にしたい。で、自分はネット部門に力を入れたいんです。沖縄の本を出版し、それと文具類をネットで販売する。今年はこの事業に力を入れていくつもりです」

この明確な役割分担は、先代の社長夫妻そっくりです。夫が会社の方向性をつけて、妻がお客さんとのコミュニケーションをとっていく。これからも、夫婦の二人三脚で、ビジネス館は大きく発展することでしょう。

 

上洲書店ビジネス館(うえずしょてんびじねすかん)
■住所
■電話
■営業時間

■定休日
■駐車場
〒901-2126 浦添市宮城6-1-20
098-877-2092
平日09:00〜22:00
土・日・祝祭日09:00〜21:00
年中無休
あり

 

掲載:2007/02/13

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