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ティーダな出会い 第6回 - 平田大一さん Vol.1

 



てだこホールのこけら落とし公演「太陽の王子(てぃーだのおうじ)」を演出したのが、演出家の平田 大一(ひらた だいいち)さん。
舞台は、浦添ゆいゆいキッズシアターの子どもたち約70名が出演して見事な演技を披露し、大成功でした。
平田さんが手がけたうるま市の中学・高校生による現代版組踊『肝高の阿麻和利』は2000年の初演以来、'07年2月には第100回目の公演を達成。
経済効果は概算で1.7億円とも言われています(参考資料/琉球新報・けいざい風水)。
地元に残る文化遺産を掘り起こし、子ども達が演ずる数々の舞台を成功に導く平田マジックとは?
子ども達、そして沖縄へのあふれる思いが感じられる平田さんのインタビューをどうぞお読みください。


思いをこめた、てだこホールは
観客も出演者も心地よい県内屈指の市民劇場


 「実は僕は3年前までは浦添に住んでいたんですよ。
てだこホールでは設計の前の段階からいろんな意見交換など、建設検討懇話会の会長をさせてもらいました。ですから僕としても待望のホールです。

前の敷地と比べるとホールの中が約3倍の広さなのに、席数は同じです。椅子のサイズが大きめで、外国のお客さんのことを考えて国際的な音楽祭なども開催可能なホール。ゆったりした気持ちで観てもらいたいという、観客側の視点で作っているというのは注目すべき点で、非常によく考えられています。

出演者側からすれば、楽屋が豊富に揃っている。また専門用語でバックヤードって言うんですけど、楽屋裏、裏方のキャットウォークと呼ばれている廊下、通路が非常に広く取られている。ホールの様々な規格とかサイズなども、国際的な公演活動ができるようなレベルのものを作っています。

近くにコンベンションセンターや那覇市民会館、宜野湾市民会館がありますが、観る人に優しくて、出る人にも使い勝手がいいホールということでは県内屈指のホールだと思います。

名嘉睦稔さんの素晴らしい緞帳も、コンペで僕らが選んだんですけど、僕のような若いアーティストの意見も大いに取り入れてもらったホールで、これから市民の皆さんが自由にどんどん使っていくことで、もっといいホールに育っていくんじゃないかなあと思います。」

てだこホール・楽屋

てだこホール・練習室

てだこホール・大ホール緞帳

 

「シーサーキング」(2001)

「太陽の王子」(2003)

「太陽の王子」(2004)

てだこホールこけら落とし公演で
ゆいゆいキッズシアター「太陽の王子」を演出


ゆいゆいキッズシアターの歩み


 「2000年から、浦添市の教育委員会が手がける舞台で、『演劇の季節浦添ゆい』というシリーズで、子ども達の演劇を作りたい、ということで声がかかったのがきっかけですね。

最初の年は『シーサーキング』という不登校がテーマのもので、それはあんまり浦添とは関係なかったんです。2年目からもっと浦添の伝説とか伝承、偉人に光をあてた、浦添オリジナルの舞台作りがしたいということで『太陽の王子』という英祖王をテーマにした舞台を手がけまして、今回のてだこホールで8年目ですね。公演は毎年2回ほど開催していました。

1回目に市が主催の子どものための演劇ワークショップの成果発表であるゆいゆいキッズシアターがあって。2回目は、せっかく子ども達がここまで頑張ったんだからもうちょっと展開して、例えば市外で交流公演という形でやろうと、年に2回〜3回くらいの割合で公演をしたんです。

その間、てだこホールの開館準備などがあり、「太陽の王子」は少しお休みしていたのですが、今回はてだこホールのオープン、そのこけら落とし公演という光栄な機会を頂き、演出家として参加させていただきました。

子どもの舞台は、沖縄市のあしびなーキッズという舞台ワークショップをディアマンテスのアルベルト城間さんと一緒に立ち上げたのがきっかけで、その後『肝高の阿麻和利』、浦添のゆいゆいキッズシアターと続きます。あしびなーキッズでは400人の子ども達と詩の朗読劇を作りました。

その後、勝連町の呼びかけで『肝高の阿麻和利』という阿麻和利王の舞台が始まり、3つ目の作品が浦添の舞台ですね。」

 

「肝高の阿麻和利」より

 

地域の歴史・文化はオンリー1
舞台の感動体験で町が変わる


 「『肝高の阿麻和利』で『きむたかホール』は大変有名になりました。
子ども達が持つ力が町を変えていく可能性に繋がるというか。そういう一つの先行的な事例を示してくれましたね。子どもが変わることで大人も変わり、大人が変われば町も変わるという。子ども達のパワーとそれを支える大人達のサポーター、その関係性があって。今度はそれに道を作っていく意味での行政の立場があって。それは一つの方程式というか、どこでもあてはまります。

何よりも一番大事なのは、地域に眠っている宝、地域にある伝説や伝承、神話、偉人の話というエピソードですね。それを題材に扱うということがとても重要です。なぜなら、地域で生まれたオリジナル、そこにしかないオンリー1の物語になるからです。シェイクスピアなどの文芸作品も、もちろん素晴らしいですが、手作りでどんなに形がいびつであっても自分達の中から生み出されてきたものには、非常に力があります。

もう一つの効果は自分の生まれた町を知ることはすごく大事なことで、自分はなぜここに今いるのかということを考える作業になるんですね。自分の根っこ探しができるので、単なる舞台を作るというよりは、やはり人を作るっていうか、人材を育成するうえでの心を育んでいく活動だと思うんです。その人作りの種を蒔くのがまさに舞台の経験で、その種というのは感動体験だと僕は思います。

子どもの頃に感動を経験すると、種を心に植えたことになる。それが5年10年と経ったときに芽吹いて、葉っぱを広げて花が咲いていれば、その町のために頑張れる人作りができるんじゃないかと思っていますし、それが僕のやり遂げたい仕事だと考えています。なので、舞台そのものだけを作りたいっていうことでは、全然無いです。『人づくり』の方法論がたまたま舞台だったんです。」

 

人の心を揺さぶる文化の力
観光立県より文化立県


 「今、沖縄は全体的に観光立県というのを目指してますけど、僕は文化立県でいくべきだと思います。観光よりも文化。文化もいろいろ捉え方あると思うんですが、大事なのは生き様だったり、生き方だったりだと思うんですね。それが人の心を揺さぶるからこそ人は集まってくれる。それで交流人口が増えれば、ほんとの意味で定住者を生むことに繋がると思います。

そういう文化活動というか、浦添は特に太鼓や組踊があったり、伝統芸能や獅子や棒術があったりと豊かな地域ですから、それを地域の人が自覚する、それが大事なんじゃないか。それを大人になってから自覚する人もいるし、停年退職をされてから地域活動をする方もいる。それも素晴らしいことですが、さらに大事なのは子どもの頃の、地域の活動に関わることを通しての感動体験ではないでしょうか。

ゆいゆいキッズは子ども中心の舞台活動ですが、それを支えている父母が中心の大人サポーターズがあって、舞台制作の運営をするわけですね。それまで家族の間で会話がなかったものが、舞台作りを通して会話が生まれたり意見交換できたりという効果もあります。

また、それとは別の形で大人のための取り組みも展開していきたいと思っています。例えばシルバー劇団っていうと言葉があれなので、ゴールド劇団あるいはゴールデン劇団と名付けようかな(笑)。団塊世代の皆さんが今ちょうど停年されて第二のステップに行く。例えば詩の朗読会とか、そういう舞台を通した自己表現。若い頃は戦争が終わったさなかで生きるのに精一杯だったからこそ、そういう人達に次の生きがい作りみたいなね、文化が果たす役割っていうのは大きいと思うんです。

大人も子どもも感動体験は必要だと思いますよ。そういう場を広げていくためにも、てだこホールは文化芸術的なものだけじゃなくて、生涯学習や街作り、地域貢献とか地域活動などと密接にリンクしたホール運営をすることが重要なポイントになるんじゃないかと思います。」

「太陽(てぃーだ)の王子・眠る城の声を聴け」より

 

「太陽(てぃーだ)の王子・眠る城の声を聴け」より

 

 「僕は今38歳ですが、小さな子達からよく聞かれるのが『どこの大学出たら平田さんのような仕事できるの?』ということですが、基本的にやりたいことがあるというわけではないんです。『うちはここで困ってるんだ。これやりたいけどできないんだ』という声が僕を動かしてくれるんですね。僕は『子ども達と舞台を作りたいけど難しい』という声でこの仕事も始めた。みんなが出来ない、やれない、したくないというものをやってるだけなんです。

演出家っていう仕事も沖縄では非常に珍しい。それが職業として成り立っているということも珍しいと思うんですが、舞台の上の演出だけではダメだと思うんです。地域も含めたバックヤードをどう演出していくかが重要なポイントだと思います。そういう面では一般のアーティストがやっている、現実的な作品を作る活動とは一線を画している部分はあるかもしれません。それを考えるとみんなが芸能人であるとか、舞台を仕事でやる必要はまったくないんで、自分が今いる場所で文化的な目線を持つことで、いくらでも普段の生活がドラマティックになるんじゃないかと思っています。

子ども達に『平田さんの仕事なに?』っていつも聞かれるんですよね。『これが僕の仕事だよ』って言ったら『まさか』ってみんな笑うんですよ。『仕事ってイヤだけど、生活のためにしかたなくするものなんじゃないの?どう見たって遊んでるでしょ』って(笑)。これはもう僕には最高の誉め言葉なんです。『僕はどんなことでもそれを遊びに変えられるし、楽しめる特技を持っている。だからどんな仕事でも楽しいことに変えられるんだよ』と言ってるんです。

次回に続
(平田さんのインタビューを3回に分けてお送りします。乞うご期待下さい。)

 

★プロフィール
「平田大一(ひらた だいいち)」
南島詩人/脚本・演出家、有限責任中間法人タオファクトリー代表
1968年沖縄県小浜島生まれ。1999年から与勝地域の子ども達による「現代版組踊・肝高の阿麻和利」を、05年から本格的な舞台「現代版組踊・大航海レキオス」
の脚本・演出を手がけ、県内外から好評を博す。
4年間務めた公共文化施設「きむたかホール」館長を卒業後05年4月、有限責任中間法人TAOFactoryを設立。現在は那覇市芸術監督、国立劇場おきなわ外部専門演出家に就任。
また、浦添市においては2000年から「ゆいゆいキッズシアター」の脚本、演出を手がけ、浦添(仮)てだこホール建設検討懇話会会長も務める。
96年に「第1回島おこし奨励賞」、03年「第42回久留島武彦文化賞」、04年には「第27回琉球新報活動賞」など受賞多数。今、沖縄で最も注目される、行動する詩人、若き演出家として絶大な支持を集めている。38歳。

 

掲載:2007/6/15

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