初めてご利用の方へ 企業登録のご案内 リンクについて お問い合わせ プライバシーポリシー サイトマップ
トップ >> ティーダな出会い >>ユキヒロさん(後編)

ティーダな出会い 第10回 - ユキヒロさん(後編)

前回に続き、後半では沖縄に帰ってきてからの活動などをお伺いします。音楽の教科書に『今日から明日へ』と『HEIWAの鐘』が採用され、知名度も高まり、毎日のように全国あちこちをライブで飛び回っているユキヒロさんの、ミュージシャンとして目指すものとは?

Q 『今日から明日へ』『HEIWAの鐘』が教科書に採用された時の心境はどうでした?

A 「実際に教科書を見た時はうれしかったし、親も喜んだ。最初はミュージシャンと名乗るのも小っ恥ずかしいって言うミュージシャンだったわけでしょ。その人間が社会的に評価されたっていうこと。それが僕はうれしかったんです。音楽の世界って、ある種自己満足なところがあるじゃないですか。『あいえーっ俺の歌最高!』だけで終わって、世の中で通用するのかとかね。そういうところも、やっぱり評価されるってうれしいし、大変ありがたい。
『ユキヒロ、あんたの曲ね教科書に採用されたんだから、自信持って活動していいんだよ』と僕に、ミュージシャンとしてとても大きな自信を与えてくれた。ただ、僕の夢はもっと大きいんです(爆笑)。僕はね『生意気であって謙虚であれ』って言葉が好きでね。生意気って言うのは、人に対して生意気じゃない。自分に対して、俺は可能性いっぱい持ってる、できるんだ、やろうよ、と言う意味です。謙虚であれって言うのは、何でも学んで、吸収していこうっていう気持ち。自分がどんな可能性を持っているか分からないじゃないですか。それを引き出すのはね、学ぶ以外にないですよ。生意気だけでも謙虚だけでもダメ」

Q 北海道から沖縄まで、全国の学校を回られてますよね

A 「学校コンサートがスタートし始めたんですよ。今ね全国80校以上回っています。教科書とか合唱コンクールで紹介されると、子ども達や先生が、作者は『今日から明日へ』とか『HEIWAの鐘』を、どう言う思いで作ったんだろうって、興味を持つわけです。その人をぜひ学校に呼びたいと。学校の先生方の繋がりで、あっちこっちから呼ばれます。やってるうちにね、大人として使命感を感じてきた。子ども達の感想で『ライブで前向きな気持ちになった』『志望校をあきらめてたけれど、ユキヒロさんの、やれば出来る、と言う言葉を聞いて、頑張ったら通りました』とかさ、いっぱいもらうわけ。だから僕は、可能性のきっかけ作りの役割なんだなあ、と」

「『HEIWAの鐘』を作った時に言われた、『平和のタイトルがつく曲は売れないよ』って。でも自分はこの曲で世の中にメッセージを送りたいということしか考えてない。売るために作った曲じゃないから。これからどうやって平和の尊さを訴えていこうかっていう曲です。どうどうと笑顔で歌うメッセージソング。爽やかに、ほんとに平和って大切だねって。『今日から明日へ』もそう、前へ進んで行こうっていうメッセージ。この曲は手話でもやりますが、きっかけは、横浜のひよこっち、という手話サークルのリーダーが『風は南から』という歌を気に入って手話にしてくれたんですね。それで手話を覚えて『今日から明日へ』も手話でやるようになりました。僕ギターを弾くでしょ、だから『今日から明日へ』はギター外したのよ。一人の場合はカラオケ使って、手話は定番みたいにやってます。今は耳が聞こえない子達の学校や、身体障がいの人達のところにもいろいろ行っていますね」

Q ユキヒロさんのライブは大変楽しいですが、お客さんを楽しませるコツとかあるんですか?

A 「僕のライブのモットーは、喜んでもらって『今日来てよかった、また来たいね』と思ってもらうこと。わざわざ時間を作ってお金も払って来てくれて。中には悩みを持っている人もいるだろうし、そういう人が僕のライブを見て、辛いことを楽しいことに変えていく瞬間を感じて欲しい。僕がその瞬間を与えられる人であればいいと思う。東京のファンはしばらく行かないと、『早く来てください、もう充電切れてます』とか(笑)、『また元気になりたいです』と言います。

僕は子どもの頃からさ、『今日は好きな女の子をどんな風に笑わそうかなあ』と考えて学校通ってたわけさ(笑)。これもう性格だから。だから、ニーニーズやって面白くなったんじゃなくてね、元々面白いからかでかると二人でニーニーズやったんだよ(爆笑)。

僕のお袋が面白いわけよ。親戚みんなに言われる、『あんたは母ちゃんそっくりだねえ』って。僕はね、世界一尊敬してるのがお袋なんです。うちの母親はほんとに大らかで、心の広い人間で。家の中ではいつも笑っていた。うちはもう、ほんとに貧乏でね。昔、お金が無いから、知り合いにお金借りに城間通り歩いてたって。そしたら向こうからその人が来た。『あいっ良かった会いたかったさ、お金借りようと思って』とその人に言ったら『へっ?私はあんたから借りようと思っていた。あんたがいつも裕福そうな幸せそうな顔してるから。あんたがもお金借りるの?』って言われたって(笑)。ま、そういうお袋の影響を凄く受けたと思いますね。お袋は今年81歳になります」

「10年東京で活動して3年前に帰って来て、ライブでよく、紹介のところで元ニーニーズってつけたがるんです。僕はニーニーズは凄く誇りに思っているし、感謝しています。そこに抵抗はないんだけども、新しいユキヒロを見てくれと。無名の新人アーティスト扱いでいいんですよ。イベンターの人は親切で『元ニーニーズつけた方が人も集まるだろう』ってところだけど、僕はそこで人集めをしようとは思わんわけさ(笑)。むしろね、初めて僕のライブを見て『うれたーやが(これは誰か)ユキヒロ?へー、楽しいねこれ』って言って『あいっあんた知らないの?元ニーニーズの人よ』がいいわけよ。多分かでかるもそうだと思う。だから最近はね、元ニーニーズと言わなくなって来た」

Q ライブではいろいろな方と共演されてますね

「11月にも六本木でライブをしたんですよ。ドラムが元リンドバーグのチェリーさんで、キーボードはダーリンさんといって、aikoさんのバンドのバンマスですよ。それからベースはむっちゃんという、中西圭三さんとかのバックの人で、そういう凄いメンバーが僕のバックで、もう何回もやっている。みんな凄く忙しいんだけど、『ユキヒロライブはとっても楽しい、やりたい』って言ってくれるわけ。先日行って来た佐賀のバルーンフェスタも、SACHIO(さちお)さんという筋ジストロフィーのミュージシャンの方との出会いなんですよ。元々凄いギタリストで筋ジスになって、車椅子で、左手が動かなくなって、右手でキーボードやり始めて、曲つけて歌ってる方で。そういう人と会うとね、瞬間々々が大事なんだなあ、と思います。SACHIOさんは瞬間々々を闘っている。病気とも闘っているし、全てに闘っている。でもね、悲壮感全く無い。むしろ生きるとはこう言うことなんだなあ、と思ったよ。お袋がよく言う、『人は人の中で育つ』って。違う価値観の人とも『やー(お前)とはならん』と言わないで入っていった方が逆に自分を磨けると思う」

Q 全国のファンが参加するユキヒロ沖縄ツアーについて

A 「(東京での)ファンが増えてファンクラブができたんだけど、ユキヒロと行く沖縄ツアーっていうのがある。5年連続沖縄やって、沖縄本島3回、宮古も石垣も行ったわけ。参加する人は全国あっちこっちで、ほとんどが沖縄に来たことがない人達。で、6年目の今年は関東エリアで箱根温泉にした。一泊二日のバスツアーで、大宴会(笑)。今年はまた沖縄の離島にしようかと思ったら、ファンはありがたいね、『ユキヒロと一緒だったらどこでもいいさー』って。大体40名ぐらいで、ほとんどリピーター。40名以上は増やさない。だって人があんまり多いとさ、一人ひとりとコミュニケーションがつかめないもん。それがファンは楽しみなんだから。とにかくもてなせるだけもてなす。年に一度のファンサービスだと思ってる」

Q 今年予定されているイベントについて

A 「『HEIWAの鐘』を英語にしたピースベルフェスティバルを今年から始めます。ウチナーンチュだから、音楽をやってる者の役割としてやろうと。平和だから音楽も楽しめる。それは当たり前じゃなく、感謝しないと。63年前に戦争があったのに、今は平和ボケしてるでしょ。平和の尊さと戦争がいかに悪か。戦争を起こしてはいけない、という誓いを込めてね。慰霊の日には考えても、普段はそう考える日が少ないでしょ。そういう日がいっぱいあって欲しいし、ユキヒロならではのフェスティバルにしたい。今年の9月7日()を予定していますけど、8月6日には広島でもやるし、東京と名古屋でも予定している。自分は発起人で総合プロデューサーとして、楽しく感動的にメッセージを伝えたいと思って。平和って、一人ひとりの心が豊かになることだと思うわけ。最初は公民館レベルでいいわけさ。プロアマを問わず、映像や踊りなんかも取り入れて、一つの流れで繋がるようなステージに。そして最後に『HEIWAの鐘』をみんなで大合唱したい」

※1945年(昭和20年)、太平洋戦争の沖縄における降伏文書調印式が行われた日。
「北緯30度以南の南西諸島を米国の統治下におく」という内容

Q 最後に浦添出身者としての思いと、『ビジネス・モール うらそえ』の感想などを
聞かせてもらえますか?

A 「ウチナー大好き、浦添大好きよお。でもさ、浦添って文化の町と言われているけど、僕は、は?と思うことあるわけ。これと言って特徴がないというか、顔がない町というか。住んでいる人、訪れる人を何で感動させるか。これから町の顔を作っていくんだと思う。僕は浦添を愛しているから、故郷を大切にしたいし、何かで恩返しをしたいなー、とはずっと思っています。

「ビジネス・モールうらそえ」に関しては、初めてビジネス・モールうらそえを見て、率直に「浦添は元気だなぁ。すごいなぁ」と思いました。「希望」「情熱」「団結」を感じます。浦添が元気になる発信源ですね!
内容もとてもわかりやすく、なによりもウチナーンチュの肝心(チムグクル)がいっぱい込められています。今回の取材を通して、より自分のふるさと浦添が好きになりました。これから浦添の発展をけん引するとても大きな役割を果たしてくれると思います。ボクも浦添を愛する一人として応援させて頂きます。このたびは紹介してくれて本当にありがとうございます。ビジネス・モールうらそえの発展を心から祈っています。

★プロフィール

ユキヒロ (ミュージシャン/シンガーソングライター)
10年間ニーニーズというユニットで活動後、2000年2月に解散、4月よりソロ活動をスタートさせる。5月15日に「沖縄の平和の心を世界に伝えたい」というメッセージが込められたソロ初のシングル「HEIWAの鐘」リリース。同年の九州・沖縄サミット会場でBGMとして放送される。
2001年6月ソロアルバムリリース、数曲がCMタイアップ曲として採用される。
2004年春、「今日から明日へ」が高校2年生の音楽教科書に採用される。
2005年「HEIWAの鐘」が高校3年生の音楽教科書に採用される。同年6月、活動拠点を沖縄に移し、全国を飛び回る精力的な活動を展開中。
ラジオ沖縄「ユキヒロの今日から明日へ」毎週日曜日 午後4時〜4時30分 放送中
URL http://www.yukihiro-okinawa.com/

掲載日:2008/3/22

このページのトップに戻る