『2009 東京ヤクルト・スワローズ キャンプIN浦添』
進化し続ける青木宣親選手(23)未だ覚めやらぬWBCの興奮は、野球の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2年連続世界一の連覇を果したサムライ達を激励したいという喜びの余韻がなぜか消えない・・・。 その中でも東京ヤクルトスワローズの我らが青木宣親(のりちか)選手(23)の活躍ぶりは日本中の人が最大級の賞賛で称える本当の大殊勲(MVP)であったことは間違いない。そして、ヤクルトの春季キャンプを支える浦添市民にとって彼が浦添市出身であるかのような喜びを感じ、感激を与えてくれた。同時に、青木選手が所属するヤクルト球団のキャンプ地が浦添市であることをこんなに強く誇りに思ったことはない。 今回は特別に、日本中に元気を与えてくれたWBC日本代表チームを三番打者として世界一に導いた青木宣親選手(23)の大貢献に敬意を表して、又、青木選手の事をもっと知りたいと思う方々の為にも「浦添キャンプ情報の中から青木宣親選手WBC活躍の分析・解剖特集」を作ってみました。どうぞご覧下さい。 【 青木選手の プロフィールと 進化の過程 】
青木宣親(のりちか)1982年1月5日生れ(27歳)宮崎県日向市出身、宮崎県立日向高等学校を経て、早稲田大学人間科学部・スポーツ科学科に進学。高校では投手だったが、大学入学後、投手の練習は走り込みが多いということを知り、外野手に転向したという。 東京六大学野球秋季リーグ戦では、打率.436で首位打者のタイトルを獲得。同リーグにおいて、ベストナインを3回受賞。通算58試合出場、190打数63安打、打率.332、0本塁打、20打点の成績を残している。 2003年のドラフト4巡目指名を受け、ヤクルトに入団。 2004年のシーズンは一軍に出場出来たのはわずか10試合。しかし、二軍では打率.372でイースタン・リーグ首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。 2005年の開幕からレギュラーに定着し、6月には2番から1番打者に安定定着。10月には、イチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成!最終的にはイチロー選手の210安打に届かなかったものの、プロ野球新記録のシーズン計202安打を放ち、最多安打。更に、打率.344でセ・リーグ首位打者のタイトルも獲得。また新人王に選出。当時推定年俸1,000万円。
2006年のWBC日本代表に選ばれ、6試合に出場して優勝に貢献した。7月21日に行われたサンヨーオールスターゲームの第1戦目(神宮球場)ではMVPを獲得。シーズンでは2年連続の200安打と首位打者こそ逃したものの、両リーグトップの192安打を放ち2年連続の最多安打のタイトルを獲得。課題であった三振と四球がそれぞれ減少・増加し、本塁打や打点、出塁率も大幅に向上した。得点圏打率.399はリーグトップ。また、41盗塁を記録して赤星憲広の6年連続を阻止し、自身初の盗塁王を受賞した。 2007年7月、出場373試合目での史上最速500本安打を達成。チームメイトのアレックス・ラミレスとシーズン終盤までハイレベルな首位打者争いを繰り広げた。リーグ2位の193安打を記録。打率.346で2度目の首位打者と初の最高出塁率のタイトルを獲得した。3年連続100得点以上となる114得点でリーグ最多得点を記録。本塁打も20本の大台に乗せ、長打率は初めて5割を超えた。当時推定年俸14,000万円。 2008年5月5日、わき腹を痛めてしまい、初の怪我による登録抹消。8月3日、北京五輪代表に選出され宮本慎也と共に登録抹消。先輩の宮本と共に全日本に参加したが、五輪では全日本の三番として貢献的な活躍をすることが殆んどできなかった。推定年俸22,000万円。 2009年WBCに2度目の出場。スタメンで主にレフトを守ることになり未経験だが、難なく守備をこなしていた。3番レフト(センター)で全試合に出場し、打撃でも大切なところでは必ず送る事が出来る安定したバッティングでチームを引っ張った。37打数12安打、打率.324、7打点という最高の成績を残し、イチロー選手の不振な時をもカバーをする働きを見せた。外野手として優秀選手賞を獲得、侍ジャパンの連覇に最も貢献した一人と言える。 【今期春季キャンプから見えるWBCでの活躍の分析・・・・とは?】今回のWBCの召集は2月の14日から始まった。そのため、青木選手は春季キャンプを途中で離れ、WBCの合宿に合流した。今年の青木選手は昨年の12月頃から体作りを始めたらしく、キャンプをスタートさせた頃には既に青木選手の体は出来上がっていた。 今考えて見ると、WBCで青木選手が大活躍できたのは周到なる体作りの準備、それから、青木選手が日頃からの打法の技術レベルを上げるために取り組んでいる熱心な研究の成果に他ならないと思えるのである。 特に決勝の韓国戦の二打席目、ランナーを一塁に置いて見せた自分も生きるセーフティーバントヒットだが、「以前からチャンスが来たらやろうと考えていました。」と、かなり計画的に考えていた事を試合後のインタビューで語っていた。しかし、計画していたからといって出来るものでは無い。それを裏付ける練習を青木はキャンプで散々やっていた。フリーバッティングの時間にセーフティーバンドの練習を一人でマシーン相手に毎日2〜300球程こなしていたのだ。 また、青木は殆んど空振りをしなかった。ボールのコースを見極めることの出来る打法をあみ出し、変化球などの釣り球につられずバットの出を途中で止めることの出来る技法をうまく使った。ストライクを取りにきた球を見逃さず確実に打ち返し各国の投手を攻略している。 これが「コマ打法」と本人は説明している。「コマ打法」とは、玩具の「独楽」(こま)の様に軸を中心に回転し、その遠心力を利用して遠くまで打球を飛ばすと言う青木選手の考えた理論である。形的には膝をまげ腰を低く構えるような打法である。本人に言わせると「腰の回転軸のパワーを最大限に活用して無駄なく一番遠くまで打球を飛ばす事が出来る構えを追求したら、自然に現在の低い姿勢の構えに行き着いた」そうだ。この構えに変ってからホームランが量産できるようになってきたという。スゴイ! そして、低く構える事によってボールをギリギリ手前まで引き付けてフルスイングするため、変化球を見切る事ができると言う。更に、驚く事にこの構えのお陰でスイングを途中で止めることが可能になったというのだ。これで、変化球の釣り球に手を出して空振りせず、狙った球が来るのを待つ事が出来るらしい。これを、WBCへ立つ2日前のキャンプ紅白戦で4打席3安打(二塁打2本含む)1四球2盗塁と思いっきり試していたのだ。その時はただ、とても早く体が出来ているんだなぁーとしか感じなかったのだが、青木選手のWBCでの大活躍を見て、彼が紅白戦で似た様な選球をして,毎打席ヒットを連打していたことを思い出し、彼が「コマ打法」を試していた事に気付いたのである。 その他に青木選手は各国の先発投手を分析し、投球癖を見つけ出し、それを侍のチームメイトへ攻略法の情報として活用させていたようだ。 更に、キャンプ紅白戦で青木選手は塁に出ると空かさず盗塁で相手を撹乱し、ワンヒットでホームイン出来る「スピード野球」を自ら作り、得点していた。確実に得点する盗塁・走塁法も練習していたんだなと改めて感心する。 分かりやすい事で言えば、守備でも、青木選手はヤクルトのセンターのポジションをずっと守って来たのですが、キャンプでの紅白試合では初めてレフトを守っていたので驚いた。WBCでは、やはりレフトを守る試合が多かったのは事実でしたね。
とにかく、青木宣親選手(23)は凄く進化している。それは、やはり綿密な練習に裏づけ
されているからだ。多分、WBC日本代表のメンバーの中で一番早くから体作りと、打法・走塁・守備の変化を前提に研究・練習してきたのではなかろうかと思う。 【 ファンサービスも進化 】話は変り、青木選手の魅力は野球の技術進化だけではなく、ファンサービスも進化していると思うことがある。特に地元の野球少年の子ども達を対象に毎年行われる「ふれあい少年野球教室での青木選手は和んだ雰囲気を作り出そうと一生懸命!だった。子ども達と会話を交し緊張感を解そうと積極的に自ら子ども達にオチャらけて話しかけていた。一流スター選手でありながら、偉ぶらず、盛り上げようとするその姿勢はさすがである。 また、毎年恒例の「青木バッティング教室」は子ども達から大人気!!子ども達へ教授する青木選手は毎年趣向を凝らし、子ども達を飽きさせない。子ども達も目を皿の様にして聞き入っていた。WBCで2度目の世界一に貢献した青木選手への子ども達の憧れは相当なものに膨らんだと思う。来年の「ふれあい少年野球教室」は多分、相当に盛り上がるだろうなぁ〜!(笑い)開催側も覚悟しないとね!・・・・(笑い) もちろん!キャンプ中、、最後まで残って待っているファンへの地道なサインサービスは練習で疲れていてもビックリする程いつも丁寧! 以上、青木選手特集でした。 |
掲載日:2009/3/30 |