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ティーダな出会い 第2回 - かでかるさとしさん

 

MOD'Sでの初ライブ
MOD'Sでの初ライブ


 軽妙な語り口のタレントとして人気のかでかるさとしさんですが、沖縄新歌舞団「大太陽」(ウフティーダ)の一員として沖縄文化を全国に伝える伝統芸能の活動もおこない、一方オリジナルソングを歌い続るシンガーでもあります。
 定期的にライブを行なっている「ライブハウスMOD'S」のある北谷で、学生時代〜プロとして活動を始めたきっかけ、そして現在にいたるとっておきのお話をうかがいました。


大平高校から沖国大、ずっと仲里はいっしょだった

Q. 「ニーニーズ」の相棒仲里幸広(現ユキヒロ)さんとの出会いは高校1年生!長いお付き合いですねえ。

A.ぼくは大平高校の一期生。仲里も一緒だったんです。ハンドボール部も一緒でした。仲間4人でバンドでも組もうということになったんです。バンド名は当時人気があった漫才コンビ『のりお・よしお』のギャグから取って『うぐいすバンド』。浦添市民会館中ホールを、高2のときにいっぱいにしましたよ。」

「そのころの高校生は唄は歌うけれど、恥ずかしがってあまりしゃべらない。ところが、当時からぼくは物まねが好きで出たがりで、仲里はそれを仕切るのがうまかった。彼が司会役をしてぼくが物まねをしてというコンビで受けてました。自分で言うのもなんですが(笑)人気がありましたよ!
 でもこれを生業(なりわい)にするつもりはなかった。当時、沖縄にはタレントだけで生活している人はほとんどいませんでした。
 将来何をするか、大学に入って考えようと、沖縄国際大学に入学。このときもまた仲里が一緒でした。クラブ活動もハンドボールを一緒に続けて、バイトもまた一緒でした。」
かでかるさん近影
かでかるさん近影

 

「ニーニーズ」
「ニーニーズ」
「4年のときにラジオ番組のレポーター・オーディションがあったんですよ。『好きにしゃべってください』と言われたのですが、標準語でしゃべるとどうもうまくしゃべれない。『すみません、普通にしゃべっていいですか』と聞いたら、いいよと言われて、わぁわぁとうちなー訛りで話したんです。きみのしゃべりはおもしろいねと、当時人気DJの高良茂さんに言われました。
 ところがその番組には見事に落選。で、代わりに番組のADはどうですかと言われたんです。ADというのは、はがきの整理したり資料を作ったりする仕事です。前に出ない仕事だったら結構ですって断った(笑)。とにかく、前に出たかったんですよ。」

 

 

自分に賭けて、プロになる決心

Q. そして「ニーニーズ」が結成されるのですね。最初はCMから?

A.「バイト先の先輩に『ラジオに出てる知り合いが番組下りるから紹介してあげよう』って言われました。なんとかそこに入りたい一心で、毎週RBCに通って、金曜日の番組のアシスタントの仕事を獲得しました。この業界に入ろうと必死だったのですね。今思うと純粋でした。
 間もなくCMの話が来たのです。今でも不朽の名作と言われる(笑い)石油会社のCMです。『えーひゃ〜三郎!』っていうあれです。当時ぼくはひとりで活動していたので、相方が必要なために仲里を誘いました。これが『ニーニーズ』結成のきっかけになったわけですよ。」

 

「コピーライターが書いた台本を、ぼくらがウチナームニー(沖縄の話し言葉)にアレンジしました。
 その頃、若い沖縄の青年が堂々と沖縄の訛りでしゃべるというのは、けっこうインパクトあったようです。のべ30本のCMに出ました。絵コンテからCM制作に参加することもありました。出るからには受けたいというプライドがありましたからね。プレゼンのときに、社長の前で実際にぼくらが演じたこともありました。
 テレビもその頃から地元で若者向けの番組制作を始めるようになり、ぼくたちもバラエティーに出るようになったのです。おもしろいニーニーだと言われてたから、そのまま『ニーニーズ』(笑い)」
美浜にて撮影
美浜にて撮影

 

水泳のインストラクター時代(ツヤマ水泳教室にて)
水泳のインストラクター時代(ツヤマ水泳教室にて)
「最初のころ、仲里は旅行代理店に勤め、ぼくは水泳のインストラクターをしていました。でも27になる前に、将来のことを真剣に考えたのです。このままずっと2足のわらじでいいのだろうか、やりたかったのにやらなかったと後悔するのはいやだった。それなら徹底してタレントとしてやってみようじゃないかと思ったのです。
 不安だったからいろんな人に相談しました。ある先輩に『おまえらには、おまえらしかできないタレントというのが、すごい可能性あるんじゃないの』と言われた。
 一生懸命な熱い思いがわかってもらえたのでしょう、回りの人にずいぶん背中を押してもらいました。仲里も同じ気持だったようです。」 (次に続く。お楽しみに)

 

インタビューの後編はこちら

 

かでかるさとしさん

タレント。嘉手苅智。浦添市出身。大平高校(現陽明高校)一期生。
沖国大4年生でラジオ出演、さらにテレビCMにも起用される。以後「ニーニーズ」としての芸能活動開始。30歳で拠点を東京に移す。 2000年「ニーニーズ」を解散、帰沖。以後ソロ活動。
テレビやラジオ、イベントで幅広い分野で活動中。3人の父。43歳。

>>かでかるさとしさんのホームページ
ライブハウスMOD'S前にて

 

掲載:2006/11/01

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