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ティーダな出会い 第3回 - かでかるさとしさん(後編)

 

かでかるさん近影(北谷町美浜にて) 色紙には「前心(ぜんしん)」
心が前を向いていたらなんでもできる

前回に続いて、東京に出ていって以後の話をかでかるさんにお聞きしました。テレビやイベントで人気者のエンタテイナー「ニーニーズ」が、東京に進出!というニュースが届いた時のこと、みなさん覚えていますか。今のように、まだ沖縄のミュージシャンやエンタテイナーが全国的に活躍することが少ない時代でした。


東京に出て改めてわかった沖縄の良さ

Q 沖縄でこんなに人気が出てきているのに東京に行くのは、ずいぶん思い切った選択に思えました。かでかるさんには不安はなかったのですか。

A「『笑築過激団』と東京で三百人劇場に出演したときの事です。お笑いのプロダクション『人力舎』の社長が見に来ていて、『勢いのある二人だ、ぜひとも東京で活動をしてみないか』と誘われたのです。
 もちろん迷いました。ぼくたちはもう30歳でした。『ここまで沖縄でやってきたんだから、このままずっと沖縄にいればいいじゃないか。別に仕事には困らないのだから。』という人もいました。
 でもぼくらは、沖縄にいるだけでは不完全燃焼だったんですね。できれば東京でチャレンジしたい。もしダメなら?そのときは、そのときだって。といっても、ダメなんて言葉さえ思いつかなかった(笑)。
 当時、結婚してまだ3ヶ月目だったのです。彼女もまさか東京に行くとは夢にも思わなかったのでしょう。『さとしではなくさぎしだ』と言われちゃいました(笑)。でもプロになる前から付きあっていたのでその辺は理解してくれました。」
かでかるさん近影(北谷町美浜にて)

 

 「東京での仕事は、最初は予想以上に言葉の面できびしかったね。ギャグが伝わらない。通訳が必要になってしまうんです。ギャグはタイミングですから、そうなるとネタ的に厳しくなります。それでもタレント性を活かしたレポーターなどはウチナーテイストを取り入れてイキイキとやってましたネ。
 その間、子どもが二人生まれて生活も厳しくなってきたんです。コンビニで深夜のアルバイトもしましたよ。夜中一晩中働いて一万円にも届きません。でもいろいろ経験できてデージ楽しかったですよ、ホント(笑)。
 そのうち、3年間日本全国を飛び回って取材するテレビ番組のレギュラーコーナーを担当しました。年末年始の特番にも出演したり、たもりさんやたけしさんの番組にも出演することができたときは、楽しかった。
 また、沖縄を離れて改めて沖縄の良さがわかりました。自然の美しさ、その人情の豊かさ、芸能文化のすごさ。
 沖縄にいるときは、三線は好きな人がすればいいんだ、今はやる必要はないと思ってたんだけれど、東京で無性に三線を弾きたくなるんですよ。外に出て改めて、自分はやっぱりウチナーンチュなんだと思いました。」

 

ユキヒロさんと
ユキヒロさんとのツーショット
頑張っていればなんくるないさ〜

Q そして6年前から再び沖縄に。東京の芸能界から沖縄に帰ってくるのは、これまた決心がいることですよね。ここでも迷いはなかった?

A 「いいえ、迷わなかった。沖縄のことをいかに知らないか、東京で思い知りました。だから沖縄に帰って、沖縄をモチーフにやりたい、もっと沖縄を知りたい、これがこれからのぼくの道だと思ったんです。」

 

 「仲里はシビアに音楽一本で行きたいと考えるようになっていた。ぼくは沖縄色を全面に出したマルチタレントを目指そうと・・・。それで、アマチュア時代を含めて20年続けた『ニーニーズ』を、ここで一区切りつけようと解散したのです。お互い頑張ろうな!って(笑)。」

 「26歳でプロになることを決めたとき、東京に行ったとき、『ニーニーズ』を解散したとき、沖縄に帰ってきたとき、ぼく自身、何度か岐路に立つことがありましたが、その時々に選択基準になるのは、あとから後悔しないかどうかでした。
 このまま迷っただけでなにもしないでいると、必ず後悔する。ここで落ち着いてしまうより、やりたいと思ったことを素直に選んだほうがぜったい後悔しないと思いました。成功も失敗もするでしょうが、失敗があるから学べるんでしょ。
 『今、迷ってるんだけれど、どうしたらいいでしょう』と後輩から相談されたら、なんくるないさ〜と楽観主義で答えます。失敗しても落ち込んでいても、頑張っているんだからなんとかなるさっていいます。
 でもここのキーワードは、『頑張っていれば』ですよ。人間頑張れないときもあるけれど、もがき苦しんでいてもなんとか前をむいていれば、道は開ける!応援をしてくれる人も現れてきます。勇気を持って信頼できる人に相談することかな。」

 


沖縄新歌舞団「大太陽(うふてぃだ)」の素敵な仲間たち
那覇市てんぶすホールの開館から半年間、隔週で盛り上げました。


沖縄新歌舞団「大太陽」の茨城公演にて
沖縄一の沖縄ファンとして、これからもモチーフは沖縄

Q これからのかでかるさんの活動は?

A 「これからもずっと沖縄をモチーフにします。歴史も知りたい、三線ももっと弾けるようになりたい、もっと沖縄のことを知って紹介したい。
 沖縄新歌舞団『大太陽(うふてぃだ)』の語り部をさせてもらっています。全国公演で80ヶ所も回りました。今年の3月には、念願であった国立劇場おきなわに出演することができました。内地の人は沖縄の古典舞踊を観たらその艶やかさにびっくりしますよ。組踊りにも感動してくれた。
 『ようどれ資料館』で上映しているビデオのナレーターも務めました。浦添の歴史は沖縄の歴史ですよね。ぼくの出身地として誇りに思っています。
 詳しい、というより、好き、という点で、『沖縄1の沖縄ファン』を自称しているのです。
 そして座右の銘ではないけれど、サインを頼まれたらいつも書くのは『前心』。ぜんしんと読む。心が前向いていたら、なんでもできる。苦しいときもあるけれど、きっと乗り越えられると信じてます。そして、『日々反省、常にシチャからシチャ(下)から。たまには、おりこーおりこ〜』です!
 ニフェーデービル!」

 

★かでかるさとしさんに会える場所は?

「まじゅんライブ」
北谷美浜MOD'Sでの定期ライブを中心に、月に一度、県内で「まじゅんライブ」を開催しています。
12月8日(金)20時開場、21時開演 (チャージ2,000円)
お問い合わせ (098)936-5708

「かでかるさとしのチムどんぱぁく」
RBCiラジオ毎週土曜12時から生放送

>>かでかるさとしさんのホームページ

「チムどんぱぁく」より
コンビの前田リナさん(左)と、ゲストのユキヒロさん(右)

 

 

おまけ…昔懐かしい秘蔵フォト4点

芸能界入りのきっかけとなった「ラジオジャック」
(RBCラジオ・S60年頃、当時22歳)

「ラジオジャック」にて比嘉京子さんと

「エー、ドープとぅれ〜、ドープ!」

沖国大・宮平ゼミのメンバーによる、
伝説の「お笑いスタジオ」での超人気コント「ドープ」(ロープ)

 

掲載:2006/11/08

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