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3部連続でお送りする平田大一さんのインタビューも、今回で最後となります。
「これからは文化芸術のための人作りではなく、人作りのための文化芸術が必要だ」と切り出す平田さん。
「そこで成長する子ども達がいて、舞台はその受け皿、未来に向けて種を蒔く作業が大切で、蒔かなければ可能性はゼロだけど、蒔いておけば可能性は広がる」と語る平田さんの熱い思い。どうぞ最後までお読み下さい。
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演出家は子ども達の意識を上手に引き出す繋ぎ役
舞台は観客を気持ちよく裏切るびっくり箱
「この間の舞台『太陽の王子』も二日間とも満席になって凄かった、びっくりしました。2000名が足を運んで下さいました。それも子どもが多かったんですよね。おじいちゃんおばあちゃんから小さい子まで幅が広くて。初めてのホールで、音響や機材の部分で少し足りないところがあって、声が聞きづらいなど反省点はあるのですが。子ども達の目力というか元気は本物で、それはお客様に伝わっていたので良かったなあと思います。」 |
「普通、子どもの演劇というのは、恥かしがったり照れたりで、少し元気がないように見えることも多々ありますよね?それを、参加する子どもひとりひとりに『自分の舞台なんだ』という意識を持たせることが、僕の最大の仕事です。だから演出家というのも、演出する人のプランに乗っかってもらうんじゃなくて、みんなが出してくる演技プランやブレインマップ、プロファイリング(与えられた役柄の理解を深める作業)後に『こんなふうにやりたいんですけどいいですか』って逆提案してくる、それに対して『それはおもしろいけどこれはどう?』というアドバイスしてあげるという役目で、僕はジョイント役なんですよ、繋ぐ役。コーディネイトやコーチング、カウンセリングして繋ぐという。
また、自分だけに光が当たればいいと言うんじゃなくて、光を当てる作業をするアーティストが今後増えるといいんじゃないかなと思います。僕が9年前に勝連で出会った子ども達が、あと2〜3年するとようやく社会人になるんですよ。それまで頑張って、今の文化を基調とした町づくりのモデルケース作りというのをやっていきたいと。そのなかでネクストジェネレーション、僕から学んだものや地域から学んだものを生かせる新しい世代が出てくる。その時にもっと広がりが見えるんじゃないかなあ、と思っているんです。
演出家って、自分の頭の中で考えたものが形になるっていうのが凄く面白いんですよね。頭の中のイメージが現実に形となって、目の前にセットが組まれ、演じてせりふを言ってくれるわけですから。僕はどこかで演出の勉強をしたというわけではないんですが、小浜で島内観光案内をしてましたから、それがかなり演出家の目線を養ってくれたなあと思う。つまりびっくり箱なんです。お客さんに対していかにびっくり箱を用意するか。それが気持ちのいい裏切りだったりすると非常にお客さんは喜んでくれる。感動体験もびっくり箱なんですよ。
本来学校がそうであればゆいゆいキッズみたいな学びの場所はなくてもいいんですよね。でも学校でしかできないこともあるし、こういう地域の団体でしかできないこともある。」 |
「道作りは人作り」を合言葉に
スタッフに支えられて地域の道しるべに
「今関わっているのは勝連、浦添、八重山、海外移民の父と呼ばれる當山久三を扱った金武町、そして那覇が新しい舞台ですね。県外にも行きますし、週7ヶ所以上はできないですから、僕一人では限界があるのでチームを作らないといけないということでタオファクトリーを作ったんです。大変忙しいんですが、今は自分にしかできないことだから、と頑張ってやっています。
タオというのは中国の昔の言葉で道という意味で、ファクトリーは工場ですよね。沖縄の新しい道を作る工場という意味です。新しい道とは人作りだと思うので、『人作りの工場』という意味合いです。基地でも観光でもなく、新しい道というのは人だと。」 |
「僕らがやってきたことって全部一貫して繋がってるんですよ。大学を卒業して島に帰って、活動を始めてから18年になりますけど全然変わってない。タオファクトリーのスタッフは4名ですが、僕の周りにいる知り合いとかスタッフとか20年とか25年の付き合いですよ。そういう人達が今、僕のサポートに入ってくれて、僕を導いてくれる存在でもあります。
浦添にはゆいゆいキッズシアターの『太陽樹』が、勝連にじゃ『あまわり浪漫の会』、八重山には『やいま浪漫の会』、金武には『久三ロマン』があり、那覇には那覇青少年舞台ワークショップがある。各地域にそういう団体があって、そこに僕はポコッと行ってアドバイスしたり『方向性はこれがいいんじゃないかな』とか話をして、それをみんなが実現していくという感じなので、僕は道しるべ的な役割です。」 |
自身の成長する姿を見せるのもまた演出
平田流演出はMy life is my message
「おんなじ演出家は世の中に二人はいらないんですよ。唯一無二というか、この人じゃなきゃできない演出ということじゃないと認められないと。同じようなものだと、あっちにも似たようなものあるよねってなる。養成講座などで習って演出をするとしても、最終的に自分のオリジナル性を考えないとできない。そういう面で言うと誰もができるけれど、誰でもはできない。オリジナル性が勝負ですよね。生き方、考え方、志向性そのものが演出なんです。だから援農塾も演出なんですよ。その延長線上に舞台の演出があるんですけど、僕のなかでは常に、どうやったらみんなが喜ぶかなあとか、びっくりするかなあとかばっかり考えている。それが舞台だったり町づくりだったり。
すごく必要とされているという自分の責務みたいなところがあって、そろそろ卒業したいと思うこともあるんですけど、阿麻和利が9年、浦添が8年と子ども達も世代交代するんですよ、4〜5年も経つと。でも子どもとの距離は全然変わらないですよ。子どもは卒業するのに、僕はいつ卒業すればいいの?って(笑)。でもあと2〜3年は走りたいなあ、と。
自分自身が一番の観客だから、『平田大一さんが次は何するのかなあ?』と、もう一人の自分が楽しみにしている部分はあります。タオファクトリーを立ち上げる時も、個人でやっていたときと比べて収入も減るし、スタッフのお給料も払わないといけない。『そこまでしてやる必要があるのか?』と一人の自分が言うと『沖縄のためにやらなきゃいけない』と言うもう一人の自分がいる。自分の中の葛藤を繰り返しながら、そういう自分が成長していく姿を見せることで、『目標とする大人はいつも走ってるよね』というイメージを持ってもらえたら。My
life is my messageです。作品を残さなくても、僕の姿がそのまま作品として、子ども達にメッセージを発信できたらいいなと。それを見て子ども達がどんどん伸びてくれれば、僕もまた頑張って伸びなきゃいけないわけですから。」 |
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大丈夫だよと子どもの背中を押してくれる
ゆいゆいキッズシアターは究極の遊び場
「子ども達にどういう仕事につきたいかと聞くと、意外に芸能人とか舞台関係を目指す子は多くなくて、子ども達に、楽しくっていいんだよ、もっと肩の力を抜いていいんだよ、と言ってあげられる児童館の先生や養護施設の職員になりたいなど、優しい気持ちを持った子どもが増えています。僕はそれが一番うれしいんです。
みんなが自分を表現できるわけじゃない。そういう子ども達の弱さも含めて引き受けてくれるような人を作っていかないと、勝ち組負け組だけじゃなくて、頑張っている子には光は当たるけど、頑張れない子もいるわけですよ。そういう子にも何か小さなハードルを置いてあげて、それを徐々に超えることで達成感を感じさせる。
なかには、何で来てるの?ほんとにやりたいの?って子がいるんです、でも来るんですよ練習に(笑)。子ども達のリーダーズには、イヤな顔していても、来てる限りは拒否しないように、と言ってます。そういう子がうちに帰ってビデオを見て一生懸命練習してると、その子の親から聞くんですよ。やっぱり表面じゃないんだなあ、こっちで判断してはいけないことってあるんだなあ、と思います。
これはどこの地域でもそうです。そういう子の成長も凄いですよ。だから本物の指導者とかインストラクターというのは、ある意味何も指導することはないんですよね。話を聞くだけとか、ニコニコ笑って『それいいんじゃないかなー』と拍手するとかね、背中を押してくれる。迷っている時に『問題ないよ、大丈夫だよ』って安心させてくれる人。僕は安心感を与えるリーダーが一番すごいんじゃないかと思うんです。そして『あ、これでいいんだ』と思わせることがやる気に繋がる。舞台は、それが作り事じゃなくて、にじみ出てくるような大人達が周りにいてくれるから、自分が出せる、素直になれる場所。
だって学校でもないから、来たくなければ来なくてもいいのに、土日返上でみんな来るんです。だからゆいゆいキッズは、例えるなら究極の遊び場って呼んでるんです。一番楽しい遊びというのは、自分が成長しているって自分で分かることですよね。昨日、おとといまでは出来なかったせりふが今日は出来た、うまくいったと。『あ、オレ頑張ってる』、それが分かる場所なんです。これは大人も同じ。職場で自分の成長を実感できれば一番楽しいですよね。そして『海外で県外でこの舞台をやるぞ』って夢のような話をして、それを実現させていく。てだこホールもね、出来る前から『ここで舞台やるぞ』『これは自分達のホールなんだよ、だからみんなでホールを育てていこう』って言ってました。」 |
人作りのために必要なのが文化芸術
種を蒔き、呼びかけ続けることが大事
「ホールの新しい形っていうのは創造的な学びの場所でありながら、実践的な社会貢献の場所でありたい。それが僕の考える公共の文化施設ですね。きむたかホールで館長を5年間やってた時にもずっと思ってたことなんです。
最近、文化芸術のための人作りをやろうって、文化庁や文部科学省が言ってる。伝統芸能の保存継承など多くの人達が言ってます。でも本来、島のね、行事、祭り、芸術文化というのは、ここで生まれてよかったということを知るための方法として、コミュニティーの場所があったり、行事や伝統芸能があったんですよね。伝統芸能を通じて、自分の根っこが確認できたじゃないですか。今は逆なんですよ、そういう伝統芸能を保存する人を育てるというふうになってるから、イヤイヤだけどやらざるを得ないという事もある。文化芸術のための人作りじゃなくて、人作りのために文化芸術が必要というのが僕のスタンスです。
舞台活動もそう、舞台がメインじゃない。そこで成長する子ども達がいて、舞台はその受け皿なんです。この活動はとても奥が深いし、未来に向けて種を蒔く作業なんです。蒔かなければ可能性はゼロだけど、蒔いておけば可能性は広がります。その芽が出るのを強制したり、それを求めることは目的じゃないです。
僕たちは種を蒔き続け、呼びかけ続けることが大事です。」 |
浦添大公園・展望台にてインタビューがおこなわれました |