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エッセイ  - ひと仕事終えて(1)
ひと仕事終えて
- 第1回 -
  安里 進
(沖縄県立芸術大学教授)


1947年旧首里市生まれ。59歳。琉球大学卒業後、民間会社勤務をへて32歳で大阪府教育委員会文化財保護課に就職。41歳で浦添市教育委員会に転職。2003年から同文化部長。2006年9月退職。10月から沖縄県立芸術大学教授。

浦添市文化部長を退任しました

 9月末で浦添市教育委員会を退職し、沖縄県立芸術大学に転職しました。定年まで1年半ほどありましたが、私の達成目標でした英祖王陵浦添ようどれの復元が完了し、一区切りついたところで、新しい目標に向かうことにしました。
 退職辞令をもらったので、チョッピリ本音も交えてあいさつをしたいと思います。

 18年前のことです。私は大阪府教育委員会で埋蔵文化財の調査を担当しておりました。
当時の市立図書館長の高良倉吉さんと総務課長の西原廣美さん(現教育長)から、浦添市では美術館を建設し、将来は浦添グスクも整備するので浦添に来ないかという誘いが突然ありました。沖縄で文化財行政の仕事をすることなど、学生時代に「乱暴狼藉」を働いた身なので、とうの昔にあきらめていた話です。しかも、琉球王国誕生の舞台になった浦添グスクの整備というではないですか。降って湧いた話に私は二つ返事で承諾し、そして平成元年2月に期待と不安を抱いて浦添市に赴任したのです。

 学芸係長として美術館づくりに取り組んだあと、平成5年にようやく文化課に主幹として配属になりました。そこで、改めて浦添グスクを眺めてみると、城壁も殆ど残っていない雑木茂るただの山にしか見えません。よくも国史跡に指定されたものだというのが当時の正直な感想です。
 しかも、整備予算も文化庁補助金の用地買上費5千万円だけ。この予算では用地買上げだけで60年もかかる。整備に着手できるのは私が退職してからさらに47年も後!ガックリです。おまけに、史跡内の地権者が10数億円の土地の一括買上げを求めて浦添市を裁判に訴えると言ってきたのです。これでは整備どころの話じゃない。俺は騙されて浦添に来たのではないか?

 そんな中で私を支えたのが次の言葉です。「仕事をすると必ず問題が発生する。この問題を解決することが仕事だ」大阪府の新採職員研修で教わった、退職間近い先輩職員の言葉です。いい言葉を教えてもらったと思いました。おかげで、問題が苦にならない、むしろ解決のあの手この手を考えると楽しくもなる。

 浦添グスク整備の仕事をとおして、私がめざすべきは行政マンではなく、浦添グスクという雑木の山を、磨けば光る商品として、いかに市民に税金で買ってもらうかというセールスマンだということを学んだように思います。幸い、尚家・文化庁・沖縄県そして議会の支援、市長はじめ同僚の理解と、部下職員のがんばりがあって、数々の難問が解決されていきました。そして、浦添グスク整備の第一期事業として平成9年から浦添ようどれ復元が始まり、平成15年に戦前の姿に蘇ったのです。しかし、なんといっても、浦添市民が浦添グスク・ようどれ復元整備に大きな期待を寄せ、折々の見学会に大勢集まったことが原動力になったことは間違いありません。

 さて、浦添市役所18年間の仕事は、浦添グスク・ようどれ以外にもいろいろありました。特に文化部長の4年間は、これまでの文化振興事業を見直して、役人主導から市民が参画し主導する「文化芸術振興長事業期計画」の策定と、「てだこホール」の運営計画に力を入れてきたつもりです。儀間市長の思いに共鳴して、「てだこホール」を拠点にした「音楽のまち」という特色ある文化行政を進めたいと考えてきたからです。

 役所はバラ色の「○○基本計画」をつくるのは得意ですが、大事なことはこれを確実に実行することです。今後の浦添グスク整備と市民主導の文化芸術振興の実現は、文化部の後輩に託すことになります。後輩には、「有能な役人」ではなく「知恵あるセールスマン」を目指してほしいと願っています。

 最後に、18年間面白く仕事をさせていただきましたことを皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

 
掲載:2006/10/31

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