初めてご利用の方へ 企業登録のご案内 リンクについて お問い合わせ プライバシーポリシー サイトマップ
トップ >> エッセイ >> ひと仕事終えて(4)
エッセイ  - ひと仕事終えて(4)
ひと仕事終えて
- 第4回 -
  安里 進
(沖縄県立芸術大学教授)


1947年旧首里市生まれ。59歳。琉球大学卒業後、民間会社勤務をへて32歳で大阪府教育委員会文化財保護課に就職。41歳で浦添市教育委員会に転職。2003年から同文化部長。2006年9月退職。10月から沖縄県立芸術大学教授。


─ これこそが本物の保守 ─

 大阪府に奉職していたころ、私は奈良県から通勤していました。私の住む町は人口1万余りの小さな町で、公共施設もささやかなものでした。ところが、隣のK町では、総合体育館や中央公民館の建設などの公共事業を次々と展開していたのです。人口が私の町の3倍近いとはいえ、その財源をどこから捻出するのか不思議に思っていたところ、想像もできない事件が発覚。さらにビックリ仰天の展開をみせたのです。

 事件は、思わぬところから発覚しました。昭和55年のことです。K町の屎尿処理場建設をめぐって、反対派住民が町に一般会計決算の事務監査を請求したところ、なんと、町が、昭和50年から55年まで赤字粉飾決算をおこない、国から毎年1億円、合計15億円もの地方交付税をだまし取っていたことがばれたのです。町は15億円の返還と、県民税5億円を追徴されることになり、その利子も50〜60万円/日に達しました。
 折しもこの年の12月は町長選挙の時期で、当然ながら争点はこの問題です。ところが保守系町長は、「不正は町民のためにやった」と居直って選挙に出馬。5選をめざします。そのために、保守は分裂して町長と保守系1人が出馬、さらには、大日本菊水会事務局長、日本労働党委員長も出馬。右翼左翼保守入り乱れての混戦模様となりましたが、結果は、町長の圧勝です。

 ここまではどこかで聞いたような話ですが、これからが奈良のすごさです。選挙に大勝利した町長は、12月22日に町選管から当選証書を授与されます。そして、現職町長としての任期が切れる翌年1月17日から5期目の町長として登庁する予定でした。ところが、大晦日の晩に町長宅が失火で全焼、町長が焼死するというハプニングが起きたのです。年が明けると、町選管では、次点の候補者を「繰上当選」させるか、それとも「再選挙」すべきかで意見が割れましたが、委員9人中7人が再選挙を主張します。また、住民からも再選挙を求める1万人署名が町選管に提出されるなど再選挙の声が強くなっていきました。
 しかし、県選管の指導は、法律にもとずいて次点候補者を繰上当選させるべきだというものでした。これにたいし、町選管は、「落選した人が当選するのはもってのほか」だとして委員長をふくむ再選挙派5人が辞職。残った4委員のうち再選挙派2人が急な腹痛などを理由に委員会出席をボイコットしたため委員会の流会が続いて、次点候補者の当選が決定できない事態になってしまいました。
 そのころ、再選挙派がテレビインタビューで言ったことば(私の記憶ですが)です。
「国の法律はそうかもしれんが奈良はちがう!」
 この発言には私は唖然としながらも、奈良はすごいとも感じました。とうとう自民党県連が斡旋にのりだし、その説得にようやく再選挙派が折れて、次点候補者の繰上当選が決定したのは3月はじめ。年明けから3ヶ月も続いた騒動にようやく幕が降りたのです。

 この事件だけでなく、私はいろいろな場面で奈良県民の徹底した保守ぶりをみることになりました。S町長は失火事故がなければ5選をはたし、さらに長期にわたって町長を続けたと思います。その頃、奈良県知事を辞任した奥田良三氏は、なんと、昭和26年から55年まで8期30年近く知事を勤めています。脳血栓で倒れた後も車イスで執務したもの後遺症が続いたための辞任でした。
 橿原神宮に近い高田市の市街地の真ん中を国道166号線が通っています。国道といえば沖縄の58号線のような立派な道路をイメージしますが、奈良ではこれが国道かと疑うほどに狭い道路が多く、田園風景のあちこちに急に狭くなった国道がありました。高田市街を抜ける国道はさらに狭く、車がすれ違うのもやっとです。土地の方に不便ではないかと聞いたところ、「昔からこの道だからこれでいい」という返事でした。 
 奈良で暮らして感じたのですが、多くの奈良県民はいまだに「奈良は日本の中心だ」だと思っているようです。奈良県に数多くの文化財が保存され、飛鳥の田園風景が残っているのは、こうした奈良県民の徹底した保守性と郷土への誇りがあったからだと思います。沖縄にも「保守」はいますが、これこそが本物の保守です。

 さて、国を騙したK町ほどではないですが、私が勤めていた大阪府でも「国は金ヅル」という考えは暗黙の了解でした。国の指導に一応従いながら、国の役人への手厚い接待もしっかりやりながら、いかに補助金・交付金をたくさん取るか、ぬかりなくソロバンをはじいています。
 こういう経験をへて私は、平成元年に浦添市に赴任しました。そこで担当した国の補助事業をめぐって沖縄県の行政指導を受けながら感じたことは、沖縄の役人は、国に真面目で忠実すぎるということでした。本土の地方役人は、明治以来100年余も国とやりあってきましたが、沖縄は復帰後30年のつきあいしかない。経験不足は仕方ないかもしれませんが、もっとしたたかに国とつきあうべきだと思います。







 最後に自分のコマーシャルで恐縮ですが、『琉球王権とグスク』を昨年末に山川出版社から出版しました。840円のコンパクトな本です。興味のある方は参考にしてください。

 

『 琉球王権とグスク 』 著:安里進

当サイトの書籍紹介コーナーに、この本の紹介文とレビューを掲載しています。どうぞご覧ください。
掲載:2007/4/2

このページのトップに戻る