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エッセイ - 空の楽しみ

航空機の危険性と安全システム

- 第6回 -

井上徹英 (いのうえてつひで)

(浦添総合病院 院長)

山口県岩国市出身 医学博士
広島大学医学部卒業後、救急医、麻酔科医として北九州の病 院に長く勤務し、平成15年に浦添総合病院に赴任。院内改修 事業や救命救急センター創設、ヘリ事業などに携わり、副院長 を経て平成20年4月に同病院院長に就任。
趣味は日韓問題研究や現代思想史研究で、猪木正道氏の評 伝などの著書がある。

航空機の危険性と安全システム

先般に出席した結婚式で来賓スピーチをしたのだが、思い起こすのも恥ずかしいような大失敗をやらかしてしまった。新郎の名前を間違ったのである。結婚式の場合は両親や親族が出席するため、苗字ではなく名前を君づけで言うことが多い。空気が固まったのを見てとって「あっ、間違った」と気づいたものの、普段は名前では呼ばないのですぐに本名が浮かんでこない。こういうこともあろうかといつもは参列者席次で直前に新郎新婦の名前を何度も反芻して間違えないようにしているのだが、その結婚式ではどういうわけか席次表がなく、招待状で確認するのも怠っていた。式次第もなかったため急な呼び出しで慌ててしまったということもある。まあ、新婦の名前を間違えなくてよかったとヘンな気休めを勝手にしている次第である。

実はこの失敗には伏線がある。新郎が私の好きな名優に似ているため、スピーチで映画のことを引用して話をしたのだが、つい最近に観た印象深い映画のことが頭にこびりついていて、その映画のことだけはうっかりであっても絶対に言ってはいけないと注意がそちらに向いてしまっていた。その映画とは「おくりびと」。

後で聞くところによると、「緊張してらしたのでしょうね」とお母様が笑っておられたとのことである。確かに冒頭のスピーチは緊張するが、場数だけは多いのでそれほどのこともないのだが、慣れによる怠慢で大恥をかいてしまった。今もって穴があったら入りたいような心境である。

緊張と言えば、飛行機の離陸と着陸ではどちらが緊張するかとパイロットに尋ねたことがある。離陸は障害物のない大空に舞い上がり、着陸は猛スピードで細い線のようなところに降りるので、私は当然に着陸だと思っていたのだが、あにはからんや、離陸の時の方がより緊張するとのことである。そういえば飛行機の事故は離陸直後の方が多い。大きな話題となった例のハドソン川への奇跡の着水も離陸直後のことである。着陸の場合はスピードを落とすが、離陸の場合はパワーを最大にして高度とスピードをあげるのでエンジンに負荷がかかり万一のトラブルのことが頭にあって緊張するのだそうだ。低空で失速すると立て直しができないとも聞いた。

写真は航空評論家の西川渉さんのHP『航空の現代』からの引用で、離陸直後にバードストライクにより両エンジンが停止しハドソン川に不時着したUSエアウェイズA-320機の事故の時のものである。これで死傷者がゼロというのは本当に奇跡である。

原稿を書いていた矢先、アメリカの話どころではない、ほかならぬ我がドクターヘリが緊急着陸するという事態が発生した。このヘリは2つのジェットエンジンを装着しているのだが、そのエンジンの1つが海上で急に停止したのである。那覇空港に緊急着陸し離島から搬送中の患者さんを救急車に引き継いで無事に目的の病院に搬送し、スタッフにも怪我はなく機体の損傷もなかったのだが、皆さんには大変な御心配をおかけすることになった。この場を借りて深くお詫びしておきたい。私はこの時たまたま小型飛行機で徳之島から那覇空港に帰着したところで、見慣れた愛機がいるはずのない空港にいるのに気づき、いったい何があったのかと肝を冷やした。すぐに機長から事情を聴いて事態が把握できたが、それまでは生きた心地がしなかった。

ジェットエンジンの停止はめったにあることではないが、こういう万一の時のためにドクターヘリはエンジンを2機装着した双発ヘリを用い片方のエンジンだけで飛行可能な仕組みになっている。ヘリは年に一度ドック入りして徹底的な検査を行い、日常を担当する整備士は、定期点検、飛行前と飛行後の点検、エンジン始動時の点検などをきめこまかく行っているのだが、それでもこういうことが起こる。タービンのブレードの損傷が原因であることはわかったが、鳥などの飛び込みの場合は前方のブレードが損傷するのに対して、今回は少し後ろの方のブレードに損傷があったということで、詳細な調査を必要とする重大インシデントと位置づけられたようである。すぐに代替のヘリを配備したが、故障のヘリは船で神戸まで輸送し、国土交通省の係官や、製造会社とエンジンメーカーの技術者、ヘリ会社の整備責任者で全てのチェックを行い、故障したエンジンの取り外しをして原因究明がなされる予定である。エンジン自体は簡単に新品に交換できるようになっているのだが、重大インシデントの場合は、空の安全を守り、同様なトラブルを防止するために現状保存して手間暇をかけてあらゆる可能性を検討するわけである。

ハドソン川に着水した飛行機はグライダーの原理を利用したわけだが、ヘリはエンジンが停止した時は落下速度を利用してローターを回し軟着陸できる仕組みがある。我々が利用しているヘリの場合、それが海上の場合であることも想定して緊急時にパッと膨らんでヘリが沈まないようにする浮き袋が装着されている。すぐに位置を海上保安庁などに自動的に知らせる発信装置、救命胴衣、ゴムボートも搭載されている。今回それらを使わずに済んだことは幸いであった。

航空機に限らないが、色々なことが起こる。ヘリもバードストライクに遭うことがあり、写真はその模様である。飛行機と違ってヘリの機長席は向かって左側だが、副操縦士は突然のことにさぞ驚いたに違いない。

結婚式のスピーチの失敗だけなら恥をかいた笑い話で済むが、航空機の場合はそうはいかない。普段はあまり意識しない安全のメカニズムに感謝し、文明の利器が常に危険と隣り合わせにいることを改めて銘記した次第である。

>> 【エッセイ】 空の楽しみ 第1回

>> 【エッセイ】 空の楽しみ 第2回

>> 【エッセイ】 空の楽しみ 第3回

>> 【エッセイ】 空の楽しみ 第4回

>> 【エッセイ】 空の楽しみ 第5回

>> 【特別インタビュー】 救急ヘリ搬送システム「U-PITS」 2007年6月掲載

掲載日:2009/4/8

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