エッセイ - ひと仕事終えて(2) |
- 第2回 - |
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安里 進
(沖縄県立芸術大学教授)
1947年旧首里市生まれ。59歳。琉球大学卒業後、民間会社勤務をへて32歳で大阪府教育委員会文化財保護課に就職。41歳で浦添市教育委員会に転職。2003年から同文化部長。2006年9月退職。10月から沖縄県立芸術大学教授。
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職をあれこれ変わるといろんなことを経験するものです。当然ながら、ウラの世界も見聞きするし、時には当事者になってしまうこともあるけれど、ウラの世界もじつに様々です。大阪府ではヤクザに脅され、浦添市ではユタの世界をかいま見ることができました。せっかくエッセイの場をいただいたので、あれこれのウラ話などをしばらく書いてみようと思っています。やばいウラ話ではなく、「仕事のウラ技」程度の話ですからその方面の心配は無用です。
今回は、沖縄県立芸術大学の話です。まだ赴任したばかりでウラを覗くのはこれからですから、新米のオジサン教員という私のウラ話です。
芸大での授業はショックで始まりました。水曜日朝8時40分から始まった最初の講義(琉球史)です。画像をとおして「見てわかる授業」をめざす私の講義計画を紹介するために、プロジェクターや授業計画も準備万端ととのえて気合い十分で教室に入りました。私の予想では、20名余の学生が、新任の先生がどんな人か興味津々待っているはずでした。
ところが、広い教室の片隅に学生が1人座っているだけではないですか。これは困った。いくらなんでも先生1人学生1人じゃ授業にはならない。どうしょうかとモゾモゾしていると、10分ほどしてぼちぼち学生が入ってきて、やっと10名ほどになった時にはもう20分も過ぎている。
それでもほっと胸をなでおろして講義を始めると、今度はひとりふたりと机に突っ伏して眠り始める。もしかしたら全員が眠ってしまうのではないか?と不安に襲われながら、スクリーンの映像を説明していると、居眠り学生は半分くらいでとまったのですが、他の学生はウトウトしている。これが芸大での最初の授業風景でした。
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最近、某大学の先生が、学生から遅刻料100円を徴収して処分沙汰になっているというニュースがありましたが、この先生の気持ちはよくわかります。しかし、お金ではなく講義の中味で、学生が遅刻や居眠りをなくす努力が必要ではないか。などと正論をとなえても、これを達成するのは容易じゃない。先月、新聞社のインタビューで「大学で研究に没頭できる」などと喋ったことを後悔しています。研究者と同時に教員でもあることを自覚させられた朝でした。
そこで、前回書いたように「問題を解決することが仕事」です。短期速成のアイデアながら、ある「秘策」を実施しているところです。今のところ、成果はまずまずといったところですが、しばらく様子をみてから、自信がもてたらこのコラムで秘策を伝授しましょう。
芸大の学生は自分の芸術の修練に夜遅くまで専念していて、朝の講義はなかなか大変らしい。芸大学生でなくても若者は朝に弱い。どうやら私の仕事はそういう学生を相手に、歴史の必要性というか大切さを教えることにあるようです。それは、通史などという通りいっぺんの歴史ではなく、沖縄県立芸術大学の学生にとって、必要であり、大切な歴史の授業ではないか・・・・・、彼らの頭にヒットするにはどうしたらよいか、などと考えている毎日です。
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掲載:2006/12/14 |
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