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エッセイ  - ひと仕事終えて(3)
ひと仕事終えて
- 第3回 -
  安里 進
(沖縄県立芸術大学教授)


1947年旧首里市生まれ。59歳。琉球大学卒業後、民間会社勤務をへて32歳で大阪府教育委員会文化財保護課に就職。41歳で浦添市教育委員会に転職。2003年から同文化部長。2006年9月退職。10月から沖縄県立芸術大学教授。


──古琉球人が見た冬至の太陽と浦添ようどれ・斎場御嶽──

 皆さんは、浦添グスクから太平洋側に久高島が望めるのをご存知でしょうか?
 浦添グスクでは、一年に一度、冬至の日に久高島から朝日が昇るのを見ることができます。 大昔は冬至の日が正月とされており、この朝日を初日の出として拝んでいたそうです。

2006年 冬至日(トゥンジービ)
儀式の模様をダイジェスト映像でご覧いただけます
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 神の島から昇りはじめた冬至の朝日が、東の空を紫色に染めます。太陽はやがて、王墓・浦添ようどれのアーチ門の中に現れて闇の中に光りを放ちます。昨年暮れに行われた浦添グスクの冬至祭で見た幻想的な光景です。
 
 浦添グスクでは、冬至のころには神の島といわれる久高島の方角から太陽がのぼることは前から知られていました。この冬至の朝日が、浦添グスクの崖下にある浦添ようどれでは、ドラマチックに出現するのです。浦添ようどれを造営した古琉球人は、どのような意味をこめて冬至の朝日を演出しようとしたのでしょうか?

 冬至(12月22日ごろ)は太陽の力がもっとも衰える日です。北半球では、1年のなかでいちばん昼が短くなり日差しも弱まります。1年の大きな節目の日で、大昔は冬至が正月だったといわれています。世界の諸民族の間で冬至の祭りがおこなわれてきましたが、琉球王府でも冬至は正月とならぶ重要な日でした。冬至の未明から、首里城正殿前の御庭で「朝拝の御規式」という儀式がはじまります。国王は中国皇帝がいる北京に向かって遙拝し、また御庭に参集した臣下たちが正殿に出御した国王を拝みます。儀式の要所では中国音楽が演奏されて厳かに儀式が進められました。

 『球陽』という琉球王府が編集した歴史書には、この冬至の儀式は察度王の時代からはじまったと書かれています。首里以前の王都が浦添で、察度王の居城は浦添グスクだったと考えられるので、浦添グスクでも冬至の儀式が行われたにちがいありません。琉球国王を太陽神の末裔だと信じていた時代には、太陽の力が衰える冬至には国王の力も衰えるので、冬至の儀式には太陽と国王の再生復活を願う意味があったのでしょう。

 古琉球人は、太陽は久高島の東方彼方にある楽土(ニライカナイ)のテダが穴(太陽の穴)から生まれると信じていました。ニライカナイの原義は「ミルヤ・カナヤ」(土の屋・火の屋)で、地底にある太陽の居所だと考えられています。地底にあるテダが穴から生まれた太陽は、東の空から現れて世界に活力をあたえそして西の海に沈んでいくが、夜中に地底のトンネルをとおって再びテダが穴から生まれ出ると考えていたのです。無限に再生をつづける不滅不死の太陽と琉球国王を重ねあわせ、国王を太陽神の末裔、太陽の子とすることで王権を神聖化したのです。この思想を「太陽子思想」とよんでいます。

 琉球国王は、王宮の正殿で政治をおこない全琉球に活力をあたえる聖なる存在ですが、死後はどこへいくのでしょうか? 太陽子思想からすると、他界した国王はニライカナイに帰り、そしてテダが穴から再生すると考えていたと思われます。王墓・浦添ようどれは、ニライカナイのテダが穴にある王宮をイメージして造られたと私は考えています。

 浦添ようどれは、久高島を望みながら東にむかって急坂を下り、そして「暗しん御門(くらしんうじょう)」とよばれる暗いトンネルをくぐり抜け、さらに「なーか御門」(アーチ門)をとおって王の墓室がある「一番庭」にいたるという構造になっています。まさに、地下トンネルをとおってニライカナイに行くという設定です。暗しん御門のトンネルは、掘りくぼめられていて土もむきだしのままで、地下に潜る雰囲気があります。しかも、出口の向こうが見えないようにトンネルをカーブさせるという工夫もなされています。暗しん御門をぬけると突然、明るく眩しい二番庭に出ます。太陽が生まれる光りに満ちたニライカナイの世界です。さらに二番庭から声域の入り口を象徴するアーチ門をとおって王の墓室がある一番庭にいたります。墓室は断崖に掘られた大きな洞窟で、太陽が生まれるテダが穴だと考えられます。
 
 なーか御門のアーチ門から現れて闇を照らし出す冬至の太陽は、ニライカナイのテダが穴から再生した太陽神を演出しているのではないでしょうか?

 冬至の日には、世界遺産の斎場御嶽でも久高島の方向から朝日がのぼります。斎場御嶽は琉球王府の最高聖地の一つです。斎場御嶽の三庫理(サングーイ)という場所には自然にできた三角形のトンネルがあります。この暗いトンネルを抜けてキョウノハナにでると真東にエメラルドグリーンの海に浮かぶ久高島が現れるという構造です。
 
 浦添グスク冬至祭の翌朝未明、私は斎場御嶽で日の出を待ちました。久高島の南側からしずしずと太陽がのぼり、やがて斎場御嶽を照らしだすと、トンネルの闇の向こうのキョウノハナが朝日を受けて赤く浮かび上がってきたのです。なんとも神秘的な光景でした。

 冬至は過ぎましたが、まだ間に合います。明日と明後日は早起きをして、浦添ようどれと斎場御嶽でニライカナイのテダが穴から現れる太陽の光を浴びて古琉球人の精神世界を実感してみましょう。

 最後に自分のコマーシャルで恐縮ですが、以上の話を盛りこんだ『琉球王権とグスク』を昨年末に山川出版社から出版しました。840円のコンパクトな本です。興味のある方は参考にしてください。
『 琉球王権とグスク 』 著:安里進

当サイトの書籍紹介コーナーに、この本の紹介文とレビューを掲載しています。どうぞご覧ください。
 
掲載:2007/1/24

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