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企画特集第23回 時代とともに変遷したうちなーの米事情-沖縄食糧株式会社

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社名ロゴ_米

でいご

時代とともに変遷したうちなーの米事情
100年企画で新時代に臨む


創立60周年を迎えた沖縄食糧の歴史は、戦後のうちなーんちゅの胃袋と寄り添った歩みです。
アメリカ世からヤマト世という沖縄独特の歴史を、米もまた経験したのです。

今年六代目社長に就任された竹内聡さん昭和17年生まれ。
竹内社長もまた戦後の沖縄を体験、沖縄の米と同じ歴史を歩みました。
竹内社長に、米の過去・現在、そして将来の展望をうかがいました。

輸入米しかない!

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Q:戦後の沖縄の米事情とはどういうものだったのでしょう。

竹内

沖縄戦の後、収容所での食糧は無料で配給されていました。その後、人々が村に帰ってもしばらくは無料配給で、カロリー計算に基づいた量を配給していましたが十分な量はありませんでした。第二次世界大戦後の敗戦国はどこも食糧難の時代だったのです。

金銭取引禁止が解かれて通貨が流通するようになると、食糧は有償配給制になります。その後、米軍政府の予算削減政策と民間の活性化を図る意味から、食糧配給の仕事が民営化されます。奄美群島は大島食糧会社、沖縄には沖縄食糧会社と民間企業が設立したのです。沖縄食糧会社初代社長に は那覇中央倉庫長であった私の父、竹内和三郎が就任いたしました。

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日本には「食管法」という法律があり、米の輸出は全面禁止。戦後になっても沖縄では日本産米を食べることができなかったのです。しかし私たち沖縄の生活においてはお米はとても重要な食糧です。戦後数年しか経っていないため、各国とも食糧生産力は十分に回復しておらず世界的な食糧難の影響は大きかったが、沖縄産の米は少ししか取れない。その頃の経営者たちはどこから米を輸入するか、探し回ったようです。最初はビルマやタイから輸入していました。父がタイやビルマまで行って難航しながらも米の買い付けに成功した話を聞きかじったときは、子供心にも、大変だっただろうなぁ…と感心しました。

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ビルマでの積み込み・集荷

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ビルマでの検米、検量状況

その後は、ご飯として食べて旨い米、ジャポニカ米を世界中探しまわって苦労したようです。カリフォルニア米、豪州米、エジプト米、フランス米などを輸入するようになりました。カリフォルニア米はおいしい米でした。72年の本土復帰までそんな外国産ジャポニカの時代が続きました。

初めての本土米に感動

Q:竹内社長も輸入米で育たれたのですね。お米にまつわる記憶は?

竹内

曾祖父は大阪人で、寄留商人として沖縄にやってきました。昭和17年、私は那覇市西町で生まれました。

戦争が始まりやんばるに疎開。それからは山の中を逃げ回った生活だったそうですが、私は小さかったので全然覚えていません。捕虜になることを決めて山から下りるとき、3歳の私は白旗を持ってみんなの先頭に立って歩かされた、と後から聞きました。

戦後、羽地にしばらくいました。父は収容所で倉庫長になります。それが先ほど言いました、沖縄食糧の創設につながったのです。

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戦後は食糧事情が悪かったのですが、父が米を扱っていた関係で「いつもお米が食べられて良いな」と友達からうらやましがられていました。今思えばその分ご 飯に対しての親の躾は厳しかった。残したら叱られる、「一粒残さず食べなさい、命をもらっているのだからね」といつも言われていました。

小学校の途中で那覇に移ります。高校は那覇高。当時那覇に「お握りとお茶漬け」の店があったのです。珍しいでしょ。そこのお茶漬けが私は大好きで、将来商売をするなら、お茶漬け屋がしたいと思ったものです。

大学は東京。そこで初めて日本の米を食べたのですが、おいしすぎる!と感動しました。しかし東京での学生生活は貧しくて、おかずが買えないこともありました。それでも米だけはなんとか確保し、バターとしょうゆをかけたご飯をよく食べましたよ。
卒業後、資生堂に入社。当時父は資生堂の沖縄代理店をしていました。沖縄に帰ってきて飼料会社を経て、沖縄製粉。
今年は沖縄製粉の会長になってやっとのんびりできると楽しみに思っていたのですが、縁あって呼ばれて参りました。創立60周年に父が創立した会社に戻ってきたことになります。

研究室でよりおいしい「ご飯」を研究

Q:今では全国からいろいろな米が入ってきますが、何種類くらいの産地銘柄米を扱っておられるのですか。

竹内

産地銘柄だと60種類ほどです。商品としては100種類ほどありコシヒカリが新潟産、魚沼産、福島産など、ひとめぼれも福島産、宮城産、沖縄産。その他、ブランド名ではあきたこまち、はえぬき、北海道のゆめぴりか、ふっくりんこ、さらにブランドにこだわらないブレンド商品や、お米の栄養機能食品、玄米、黒米、雑穀・・。

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こだわりの逸品銘柄米

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美味づくり

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テイスティーホワイト守礼

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健康七穀米

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玄米

平成4年に設置した「研究室」では、米の品質管理方法や、おいしく食べるにはどうしたらいいか、ブレンドの研究、米の保存方法、最近では雑穀や米粉の研究も行っています。消費者の方に役立つ米の情報と、よりおいしい米を提供する方法を研究する部署です。

研究室の社員は6人。全員米のプロです。お米のソムリエ(日本精米工業会主催の米飯選抜パネリスト)の資格を持つものが2人、米飯官能試験監督者3人、精 米工場検査上級技術者2人、ごはんソムリエ(日本炊飯協会認定)が1人、さらに営業員では雑穀アドバイザー(日本雑穀協会認定)1人。

ここから弊社のオリジナル商品は生まれます。「美味づくり」という商品があるのですが、どこの産地、なんというブランドというこだわりではなく、独自の分析 データーを基に選んだ米をブレンドしたもので、とても人気があります。さらに今年の一押し、研究員が絶対自信を持って推薦しているのが、北海道の「ゆめぴ りか」というブランドです。

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Q:新しい話題では米粉ですね。

竹内

小麦アレルギーがないというので米粉人気が出始めましたが、実は米粉もアレルギーゼロではありません。ただ麦に比べると大変に少ない。というので小麦アレルギーの人のための米粉パンが作られ始めました。しかしそれでは単に麦の代用品です。もっと米の特性を生かした、米独自の米粉の使い方はないだろうかと私は考えています。米の麺としてはビーフンが有名ですが、それ以外にも何かできないだろうか、天ぷらの衣に使うとどうなるかなど。
米は自給率100%。日本でそのような食品は数少ないです。米粉の可能性を研究することは、日本の食糧事情にも影響すると思いますよ。

ミルマスター

ミルマスター(精米機)

マジックソーター

マジックソーター(色彩選別機)

工場全体

パレタイザー(製品取り機)

DNA判定装置

DNA判定装置

米は人気者

米離れといわれて久しいです。米が肥満の原因になるかのように言われていた時代すらありました。しかし米食は日本人の身体に合っているんですよ。農耕民族は穀類を食べる身体をしている。だから「医食同源」を考えると、日本人の食の基本は米がベストといってもいいのではないでしょうか。

以前ヨーロッパに行くと「どうして日本人はそんなにスマートなのだ」とよく聞かれました。パンと肉の生活と、米食の生活の違いと私は答えていました。欧米では米は健康食なのですよね。
時代は変わって、食べることが単に腹を満たすだけでは満足されなくなっています。食の安全・安心・そしておいしいことは最低条件。その上にさらに求められていることは健康にどう寄与できるかだと思います。そんな意味でも米粉を含めた米は様々な可能性を持っているわけです。

Q:60周年を経て、今後の経営方針は?

竹内

「100年企画」というのを考えています。60年の節目を終えると次は100年。100年生き残れる企業として、私たちは今後何をなすべきかを考えなくてはならないわけです。

まず、いかなるときでも米を安定的に供給できることです。米は自由化されました。その競争が品質向上に役立てばいいのですが、天候異変などもありいつ米不足が起こるかわからない。どんなときでも県民に必要な量と質は確保でき、価格も安定的に供給できるようにすること。

第二に、子どもたちの「食育」を手伝います。節分に保育園生を招いて恵方巻きを食べてもらいながら米の話をしたり、小学校への出前講座で餅つきを体験して もらったり、講演会をしたり。社会に貢献するのは今の企業に求められていることです。私たちには米、ご飯を通じて何ができるか。

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私は昨年まで沖縄製粉に社長としていたわけですが、米と麦はライバルではないと思います。米の会社、麦の会社の技術で協力し合える。それぞれの特性を生かしてコラボ レーションすることで、新しい可能性がいくらでもひろがっていく。たとえば米粉もその一つでしょう。そう考えると米の未来は明るいのではないでしょうか。

恵方巻き①

恵方巻き②

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Q:最後にビジネスモールうらそえについてご意見、アドバイスをお願いいたします。

竹内

全国的に人心が乱れ治安が悪化している状況の中で、浦添は昔からの村の結束が固く、行事に住民が積極的に参加しています。地域のつながりも強い。ビジネスモールを見ているとそのような浦添の雰囲気を感じます。

企業情報に留まらず、犯罪情報を広く発信し、防犯意識を高めるとともに子どもたちが安心して遊び、学べる環境づくりに大いに貢献していると思います。これからも将来を担う子どもたちの育成のためにも、市民の暮らしに必要な様々な生活情報を発信して欲しいです。

子どもが元気だと家族が元気になる、そうなると町が元気になり市が元気になります。そして県が元気になる・・・といういい循環を浦添から発信して、県民の活性化に努めてほしいと思います。

プロフィール

沖縄食糧株式会社 代表取締役社長
竹内聡さん
昭和17年 那覇市西町生まれ
趣味はゴルフ
家族は妻と子ども3男1女に孫5人。

コラム

◎お米のくえすちょん
1、今でもお茶漬けはお好きですか?
「立食パーティーではお客様と話をすることに追われてほとんど食べないで帰ることが多いのです。帰ってからお茶漬けを食べる。飲んだ後のお茶漬けは本当においしいですね。でも遅くから用意しないといけないので女房に文句言われますけれどね」

2、お好きな米料理は?
「雑炊、ふーちばじゅーしー、お茶漬け、カレー・・・・けっこう、なんでも好きですね」

沖縄食糧株式会社

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【住所】 沖縄県浦添市勢理客四丁目4番1号
【電話】 (098)877-2323(代表)
【企業情報】 企業情報ページはこちらから
【URL】 企業ホームページはこちらから
【マップ】 icon_map

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