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お勧め!浦添市美術館 企画展 「うらそえ発掘!50年」 ~掘り出された浦添の歴史~

「ビジネス・モールうらそえ」をご覧頂いています皆様へ 吉報をお届けいたします!当サイトでは、浦添市美術館で現在開催中であります「うらそえ発掘!50年」企画展を取材いたしました!

「うらそえ発掘!50年」 ~掘り出された浦添の歴史~ 

当サイトでは今回、沖縄の古代ロマン(空想)を掻き立てる素晴らしい企画展示会の様子をお伝えし、その魅力の一部を切り取って皆様へお届けしたいと思います!

沖縄の「いにしえの時代」である貝塚時代の前期・後期(日本本土の縄文時代~弥生~奈良時代あたりまで)とは、どういう時代だったのか?或いは、言い伝えの「天孫氏王統の時代」とはどう重なるのか?

~見る人の想いよって様々に浦添で発掘された土器が語りかける~ かけがえのない価値ある発掘品の数々が展示されています。

文化薫る浦添市美術館では、浦添市 市制施行50周年を記念しての企画展が2月24日まで開催されています!入場は無料です! ※こんな素晴らしい企画展が無料で見られるとは凄く有り難い!

うらそえの歴史は沖縄の歴史そのものです。沖縄と本土(九州)を結ぶ人的交流を示す貴重な土器として「市来式土器」(約3,300年前)の土器が沖縄で初めて発掘されたのが浦添貝塚です。

50年前、浦添貝塚での市来式土器の発掘の知らせは、大発見!としてマスコミにも大きく取り上げられ、当時大きな話題と反響をよび、現在でも考古学史に輝く遺跡として名高い名所となっています。

また、さらに凄いのは、当時、昭和45年(1970年)それを発掘したというのが何と、浦添高等学校の生徒さん達だった!というのです!
「 えっ、 高校生が? 」と、誰もが驚きます!このことは50年経って当時を振り返ったから分かったのでそれまでは忘れられてしまい、埋もれてしまっていたのです。正に50年後の発掘かも知れませんね!

現在の浦添高校の生徒さんや、関係者にとって なんと名誉なことでしょうか!当時の浦添高校生はレベルが高く素晴らしい活躍をされていたことが分かってきました。 詳しいことは後程説明いたします。

さて、「うらそえ発掘!50年」展を案内してくれるのは、イラストの うらそえ縄文人こと「じょうじ」です!

浦添市美術館の玄関から中に入ると

奥に何かいますね!

「こちらですよ!」と、

縄文人じょうじが呼んでいる様です!

「 ようこそ! うらそえ発掘!50年 展へ ゆっくりとご覧ください!」 と言っているかのようです。

 

まず、じょうじに向かって手前左の第一展示室には日本遺産に登録されている歴史遺跡の紹介がされています。

第一展示室

 

次に、中央にある第二展示室には県指定史跡、伊祖の浦添貝塚で発掘された九州の市来式土器(いまから約3,300年前の土器)や、それに並ぶ貴重な土器が浦添市内での発掘調査によって出土した場所と一緒に説明展示されています。

第二展示室

また、日本本土から運ばれた様々な縄文土器だけではなくて、牧港補給基地内の嘉門貝塚では弥生時代に入り、九州から渡って来た人々らと物々交換されたとされる沖縄で採れた巨大な「ごほうら貝や、巻き貝」をまとめて保存した遺跡の展示が有ります。

ごほうら貝(手前)    巻き貝(奥)

さらに、弥生時代に本土各地で権力者の力を象徴する装飾品として用いられたとされる加工された腕輪の他、貝殻や動物の骨を加工した様々な道具、石器等が展示されています。

第二展示室

 

最後に、一番広い第三展示室では浦添城跡の発掘調査によって出土した大量の高麗系瓦、その中で屋敷の屋根瓦に使われていたと思われる鬼瓦や、青磁・白磁・青花等の中国産陶磁器が出土、その他に、鎧などに使われたと思われる金属の武具や武器も出土している様です。また、浦添グスクは13世紀末から18世紀まで使用されていたことが分かっています。

 日本・沖縄・浦添の歴史時代 比較年表

第三展示室 (手前側)

さらに、城壁の復元調査の中で城壁の石積みの下(基礎の部分)から丁寧に埋葬された若い女性の遺骨が出てきたことは何を意味するのか?人柱を連想させる発掘された当時の遺骨(レプリカ)の展示もありました。

 

第三展示室 (奥側)

第三展示室の奥の方には前田・経塚の区画整理や、西海岸の埋め立て事業の始まりによって、発掘調査が開始され近世・近代の浦添の様子が明らかにされて行ったことが分かります。

市内いたるところで古墳群の発掘調査が行われたそうです。発掘した骨壺や古墳の様子が縮小模型で展示されており、なるほどと、おかげでその時代の生活様式が垣間見れました。

 

また、西海岸では建築資材として使われた石切り場跡の発掘調査が行われたそうです。港川の石切り場を模した模型も精巧に作成されていて、驚きました。沖縄の近世・近代の様子を語る遺跡が開発によってどんどん失われつつある中、地道な発掘調査の成果によってデータや、模型などの資料を残すことが出来たことによって当時の様子を ある程度遡り知ることが出来るのです。この仕事の大切さを改めて知り、有り難いことだと感心しました。

上記場所:現在、港川カーミージー(亀岩)の手前にある空き地(ホテル建設予定地)です。

過去の時代のことを丁寧に調べる発掘調査の努力なしには、未来に過去の財産を運ぶことは出来ないとつくづく感じさせられました。であるならば、浦添に埋まっている文化財の財産を観光経済の魅力につなげるとしたら、この仕事をきちっと経る必要があると、発掘・調査なしに作られるものは一時的な幻想でしかないことが、この展示会「うらそえ発掘!50年」を見て頂ければ直ぐにご理解頂けると思います。

 

うらそえの歴史を発掘・調査してきた生き字引であり、貴重な人的財産といえる元文化部長の下地安広氏が語る発掘50年を振り返っての想い 題してうらそえ発掘50年~浦添の歴史と私~」としての講演が去った2月2日にあり、これまで下地さんが経験されてきたの様々な発掘・調査の中から大変貴重な体験エピソードを聴かせて頂きました。

講演 浦添市教育委員会 元文化部長 下地安広 氏

下地さんの講演の中で、嘉門貝塚(かじょう かいづか)等いくつも興味深いお話がありましたが、その中で一番驚いたのは「昭和45年(1970年)に浦添貝塚で市来式土器を発掘したのは、実は浦添高校の生徒の皆さんだったのです」 という話でした。

うらそえ発掘50年の始まりにして

考古学史に輝く遺跡

 左のポスターの土器の写真が浦添貝塚で発掘された「市来式土器」です。

浦添貝塚の所在地は浦添バイパス330号線道路にある伊祖トンネル(めがね形)の上部、浦添大公園の一角に在ります。
昭和44年(1969)、45年(1970)に区画整理や住宅開発などにより自然崩壊による遺跡消滅の可能性があったため急ぎ発掘調査されたようです。

浦添貝塚 (うらそえ かいづか)

沖縄貝塚時代前期(縄文時代後期前半)の遺跡で、浦添高校郷土史研究クラブの活動の一環として発掘調査が行われました。沖縄諸島や奄美諸島に分布する土器をはじめ、石器、骨製品、貝殻(かいがら)などが出土しています。特に南九州地方に分布する市来式(いちきしき)土器は県内初の出土事例として注目を浴びます。市来式土器の出土により沖縄の土器の年代についての研究が発展しました。

昭和46年(1971)に、現国道330号建設により浦添貝塚のある丘陵が削り取られる計画であることが明らかになります。しかし各方面の保存運動により貝塚の真下にトンネルを通す工法に変更となり、貝塚は保存されることになりました。

50年前のS45年(1970年)に浦添高校の郷土史研究クラブの皆さんが座っている所が浦添貝塚です。その右上部に見える石積みは英祖王の父である恵祖世主の眠る伊祖の高御墓です。

浦添市教育委員会 文化財課 (資料提供)

浦添村が浦添市となった1970年の前後、浦添の埋蔵文化財(まいぞうぶんかざい)発掘調査の始まりともいえる調査が行われていました。浦添高校郷土史研究クラブによる浦添貝塚(かいづか)と琉球政府文化財保護委員会が行った沢岻(たくし)遺跡の調査です。

そのころ沖縄では1972年の日本復帰に先行した開発が盛んに行われており、多くの遺跡が工事により失われ、あるいはその危機が迫っていました。浦添貝塚も現国道330号の工事で削られる計画でしたが、保存運動の結果貝塚は残されました。一方住宅工事によって破壊されつつあった沢岻遺跡は残念ながら保存はかないませんでした。

これらの発掘調査とその結果は、遺跡の保存と開発をどのように進めるべきかを考えるうえで重要な道しるべとなったといえます。

浦添高校の郷土史研究クラブ生徒と指導者の皆さんによる発掘調査風景

浦添市教育委員会 文化財課 (資料提供)

浦添高校の生徒さんたちが素晴らしい指導者の下で日本の考古学史に燦然と輝く遺跡発掘を行ったんですよ!凄い事ですよね!それも、そのことにより、縄文時代に沖縄と本土の人的交流があった事を示す証拠の土器を沖縄で初めて発見したのです!それもなんと高校生が明らかにしたことになります!

その発見は、浦添貝塚の遺跡としての価値を急速に高め、世論が遺跡保存に大きく働き、山を崩して建設する予定であった浦添バイパス330号線建設工事が予定変更となり、遺跡保存のためトンネルを掘り道路を通すことになったのです。現在の伊祖トンネルは浦添高校の生徒達の想いが通ったことにより二つのトンネルの穴が開いたかも知れません。

その後、昭和47年に県指定遺跡となって保存されることとなり、工事も正式に伊祖トンネル建設になった様です。このことで、浦添貝塚遺跡が残されただけではなく、遺跡の右上方に実存する英祖王の父である伊祖城主の恵祖世主の眠る墓として有名な「伊祖の高御墓」という貴重な沖縄県指定有形文化財をも守ったことになります。

浦添高校 郷土史研究クラブの生徒達と 顧問の先生が浦添貝塚の発掘調査のため

伊祖公民館で合宿。

浦添市教育委員会 文化財課 (資料提供)

50年前の浦添高校の生徒さん達は偉業を成し遂げる大活躍をしたことになるわけです。上の写真は当時のもので、浦添貝塚の発掘調査を行うために近くの伊祖公民館で合宿していたそうで、浦添高校郷土史研究クラブの生徒と指導者の皆さんが食事をしている風景を撮影したものだそうです。

また、驚くべきことが分かったのです。実は、この生徒さんたちの中から一人の女子生徒が、なんと現在の沖縄考古学会の幹部になられているそうなのです。

当時の新聞記事1970年7月28日沖縄タイムスには記事の冒頭に

「浦添高校郷土史研究クラブ顧問の新田重清教諭と比嘉春美部長、ほか20名は、27日に浦添貝塚発掘中、いまから約3,200~300年前の土器である市来式土器を発見した」とあります。

指導者である顧問の先生、新田重清教諭は高校教諭でありながら戦後の沖縄の土地開発の波を憂い、生徒達を率いて考古学者顔負けの発掘・調査を指導し、歴史に色濃く記録される素晴らしい発見の成果を当時高校生の子ども達に経験させさせたことは、50年経って改めて評価されるべき偉業を成し遂げた大活躍であると思います。

さらに新田先生は、その後も新聞に度々浦添貝塚の重要性と遺跡として保護すべきとの論文を発表し、保全運動の先駆け役を担い、県や市の道路建設計画を変更させるための働きを行っていたことも下地安広講師の説明に出てまいりました。

今の浦添市があるのは、この様に背後で貢献された方々がいらっしゃったおかげであると、感謝の思いが湧いてまいります。そして、浦添市 市制施行50周年の企画展「うらそえ発掘!50年」~掘り出された浦添の歴史~を拝見して浦添市の魅力は、やはり歴史・文化であると改めて認識させられました。

市民の皆様、この企画展は、50年かけて浦添市の歴史に関わる方々が地道に発掘・調査を行い、明らかにしてきた過去の歴史を紐解いた展示会です。

そこでは、「私たちが普段生活の中で通り過ぎる場所に、実は遥か数千年前の祖先が残した かけがえのない文化財産が眠っていたんです」ということを時空を旅する空想のロマンと一緒に楽しく教えてくれます。

そして、改めて、浦添市の魅力や価値がどこにあるのか?今、そのことが後退してはいないか?浦添市の経済発展のカギを市民の皆様がこの展示会で見つけることが出来ると確信しております!

2月24日まで無料開催されております。50年に一度の企画展です!是非ともお見逃しのないよう早めに訪れて観てください!超!お勧めです!

※ご家族での来館をお勧めします!子ども達に是非とも見せてあげてください!触れられませんが立体の展示物から視覚で「うらそえの古い歴史」を感じてもらえるはずです!

 

うらそえ縄文人こと「じょうじ」です!今後とも宜しくお願いします。

最後に、元文化部長の下地安広さんの講演はとても素晴らしい内容で、やはり発掘調査を長年行ってきた経験値からくる言葉には本物の魅力と興味深く面白い体験エピソードがちりばめられており、聴き手を引き付ける時空の歴史ロマンを感じさせてくれました。とても有意義な講演でしたので、又何かの機会に今度はもっと多くの市民に聞いて頂きたいと願っています。

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