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企業特集 第20回 ー 破天荒な人生から得た、心篤い会社経営ー 有限会社 拓実住宅

DSCF6277(有)拓実住宅
代表取締役社長 上原睦人さん

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「経営は人の経(みち)を営むこと。どういう生き方をするのかが問われる」

破天荒な人生から得た、心篤い会社経営

国道58号線の拓実住宅社長上原さんは、不況のときも様々な新しいチャレンジを続けてきたアイデア経営者。快活・豪放磊落な言葉で、人間の生き方に焦点を当てた経営方針を語ってくれました。

 

親父は大学生!

糸満市糸満生まれ。上原さんが生まれたとき、父康造さんはまだ東京で大学生だったそうです。卒業後、帰沖した康造さんは商売を始めます。そしてベトナム戦争に沸く基地の町金武へ。

「小学校は金武、途中那覇に転校しました。親父は米兵相手の質屋をしていたのです。那覇に戻ってからは雑貨店。その後宜野湾に移ります。ぼくの高校は普天間高校です。

海洋博を迎え沖縄はバブルが膨らんでいたので、商売人には良い時代でした。恩納村の山田温泉も祖母と親父の兄弟で経営して、親父は食材などを卸してましたよ。復帰後、親父は不動産関係の仕事を始めました。

父は気風が良く、人の世話や後輩の面倒をよく見る人でした。いろいろな団体へ寄付し、保証人になり人に金を貸し・・・。親分肌で、亡くなった今も多くの人が親父を慕ってくれています」

息子はカマボコ売り

海洋博が終わると沖縄のバブルははじけ飛び、その頃かまぼこ工場を経営していた上原家にも不況の大波が押し寄せてきました。

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「ぼくは高校卒業したもののどうしたらいいのか、これからの人生を迷っていた。

とりあえず親父の工場を手伝うことにしました。夜中12時から朝まで工場でかまぼこを製造、出来上がったかまぼこを親父から買って、市場に売りに行く。その売り上げがぼくの収入です。親から小遣いなどもらわず、というより現金がなくて小遣いなどもらえなかったのです。18歳からぼくは経済的に自立していました。

しかし、旧盆前何日も徹夜で製造し市場に売りに行った後、交通事故に合ってしまった。疲労困憊していたのですね。橋の欄干にぶつかって・・・周囲にガソリンがこぼれてました、今思えば恐ろしい。数日間のかまぼこの売り上げがふっとびました。

親父も体調を崩していたので、これを機会に工場を閉鎖。しかし工場を売り宜野湾の家を売っても一億近い負債が残ったのです。

居酒屋と大学生の二重生活

逆境に建たされた上原青年は、あるきっかけから浦添市内で居酒屋の経営を任されます。

「『むつごろう』という居酒屋を始めたのが19歳の春。

それから一年ほどたったころでした。仕事が終わって夜中に安謝の防波堤で一人星を見ていました。流れ星がびゅんびゅん流れて、これからの人生を考え た。すると涙が出てきました。『友達は学校に行ってるのに、俺はこれでいいのか。居酒屋にいるような、こんな人生でいいのか』と。このままではだめだ、大 学に行こうと決心したのです。

沖縄国際大学法学部に入学したのは20歳。高校を卒業した18から大学入学の20までの青春期は、ぼくには本当に重苦しい辛い時期でした。

大学で剣道部に入りました。

しかし夜は居酒屋、昼は大学という二重生活です。居酒屋の仕事が終わるのがたいてい朝近い。それからほとんど寝ずに剣道の朝錬。だから授業の時間に なると眠くてつい熟睡(笑い)。しかし単位は落とさなかった。というのは試験のとき、『剣道部上原です。『優』をください』と答案用紙に書いた(笑)。さすが に優はなかなかもらえませんでしたが」

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拓実住宅を設立

授業は怠けていた、といいながらも、2年のとき宅建主任、続いて行政書士の資格を取ります。81年(昭和56年)、父康造さんを代表に拓実住宅を設立。上原さん22歳。

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拓実住宅、創業時

「会社を作っても新参者のぼくたちにいきなり仕事があるはずありません。そこで考え付いたのが賃貸住宅の『管理』です。細かい仕事なので、実際はあまり手を就けられていない。狙い目かもしれないと考えました。

手始めにこのビルの家主さんに話を持ちかけたのです。22歳のぼくと21歳の妹で営業の話しをしにいったのです。そんな若造に任せられないと門前払いされるのを覚悟していました。ところが家主の川平さんは一言、それでは任せてみようと、いってくれたのです。びっくりしました。川平さんは大事な恩人です。

後日談ですが、川平さんが亡くなってこのビルを処分するという話が出たとき、ぼくはまっさきにこのビルを買わせて欲しいと頼みました。そして、ビルの名前もずっとそのまま『川平ビル』で継がせて欲しいと。川平さんから受けた恩を、ずっと継がせてほしい、と遺族の方にお願いしたのです。

社員にもこの話は代々伝えていますよ。どうして川平ビルというのか、話しながら」

当時、賃貸物件の管理を不動産会社に委託する家主は、全国でもまだ少なかったそうです。『管理』をする不動産会社も少ない状況でした。そのような人が考えないところへ目をつける上原さんのユニークな視点は、その後の会社経営、さらに現在の発展へと続くのでしょう。このときマンション『管理』で家賃を集金するうちに、効率のいい家賃の自動振り替えを勧めるようになります。今では当たり前の家賃の振り込みも、その頃沖縄ではとても珍しく、業界でもきわめて早い試みでした。

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'83年'84年当時の 拓実住宅

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'83年'84年当時の上原社長

チューリップのマーク

拓実住宅のネーミングとマークについて、面白いエピソードがあります。

「親父は拓殖大学の卒業生。こよなく母校を愛していたのでその『拓』。妹、実千代の『実』を取った。深い意味がない社名です。しかしそうは言えないので、『人生を開拓し、実を結ぶ会社』とかいっています。ハハハハハ、意味は後付です。

takumi_markマークもいい加減なものですよ。設立当初、事務所は10坪ばかりで、女性従業員2人がいました。会社のマークを考えようということになり、一人がチューリップがいいと言い、もうひとりも絵を書いて持ってきた。まさか不動産屋にチューリップはないだろう、と反対すると、それなら多数決で決めようと。女性二人に負けました。ハハハハ、でもその後このマークは評判が良くてね、この前など、これはハワイのデザイナーの作品ですかと聞かれました(爆笑)」

業界の使命感

上原さんには忘れられない大晦日のお客さんがいます。

「12月31日に、母と子が年越しのアパートを探しに来た。ぼくも一緒に周囲の不動産屋を訪ねてまわりました。開けているところさえ少なかった。やっと見つかったのがもう9時過ぎで、紅白歌合戦が始まっていましたね。『やっと家が決まって、うれしいです』、その親子は涙を流してね、『これでどうにか年を越すことができた、ありがとう』と感謝してくれた・・。感動しました。頼られたんだ!とうれしかった。

この仕事の醍醐味です。人に安らぎと喜びを与えるチャンスがあることだ、とわかった。そして、これは自分の性格にあってると心から思いました」

仕事の喜びを発見した矢先の昭和61年、父の引退で上原さんは二代目社長に就任します。以来22年、会社は発展し、従業員は19人に増え、上原さんの活動は公私ともに広がります。

そんな中、康造さんにガンが発見され入院。無事退院されました。しかし・・・。

「退院して家に帰ってきた親父が、それまで階段を走って上がっていたのに10センチの階段の段差があがれないと言うのです。ぼくはショックでしたねえ。玄関の5センチ、風呂場への敷居の2センチがツライと。

当時住んでいたのはマンション。もしここがバリアフリーだったらどんなに良かったか・・と思いました。しかし日本の公営住宅や、ほとんどの賃貸住宅はまだバリアフリーではありません。大切だとわかっていても、多くの家主さんは、年寄りだけが住まれたら困ると言います。

それならこういうニーズは、不動産業者がこたえるしかないとぼくは思いました。会社は利益は追求するべきですが、その前に業界の社会的責任、 社会への使命がある、あるべきだと考えます。でないとその業界の存在価値もなくなる。不動産業界の使命というのは、人に喜ばれること、人の助けになること です。つまり、高齢者のバリアフリーの賃貸住宅です。

しかしぼくの考えに賛成する同業者は少ない。でも人がやらんからビジネスチャンスになるわけですからね」

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浦添市内にできた高齢者有料賃貸住宅「ちゅらとぴあ前田」の運営を拓実住宅は手がけています。全40世帯は、介護2、つまり車椅子や松葉杖の人まで入居可能。国や県から家賃の半分の助成金を受けられるので、入居者負担は3万5千円からと押さえることができます。

ちゅらとぴあ前田

ちゅらとぴあ前田

玄関から

玄関から

バリアフリーのお風呂場・お手洗い

バリアフリーのお風呂場・お手洗い

ボタンを押すとタクシー会社につながる緊急通報サービス

ボタンを押すとタクシー会社につながる緊急通報サービス

「商売は自分本位では続けられません。商売には必ず相手がありますから、相手もプラスになる、相手が喜ぶような仕事をしなくてはならない。それが成功の道であり、長く続けることができる唯一の方法です」

夢広がるこれからの不動産経営

常に新しい不動産会社経営に目を向け続けてきた上原さんが、今現在考えている新しい試みとは。

「県内不動産業者が加盟する『おきなわ不動産市場』というインターネットのサイト。これは数年前にオープンして、現在加盟業者が増え、やんばるから離島まで21社。今後も増えていくでしょう。

不動産業者はそれぞれ独自のホームページを持っているところが多いですが、まとめて情報を見ることができるコミュニティーサイトはなかなかなかったのです。しかもここでの情報は沖縄本島だけでなく、やんばるや離島まで広く全県に広がるので、県外からの移住を考えている方には特に好評です」

さらに、賃貸、売買だけの不動産業ではない、とも。

「農地の活性化を考えたいと思っています。農業をしたい人は多い。でも都会には土地がない。反対に離島の過疎化した集落は農業を継ぐ人がいなくて、 耕地が荒れたままでいます。これをドッキングさせたいのです。過疎化していた村の村おこしです。農業を楽しめる村づくりをして、全国から人を集める。村は 賑わって、農業を楽しむ人たちにも喜んでもらえます。

あるいは、英語村というのはどうでしょうか。実際に留学したような英語の村を作るのです。看板も商店も、そこで住ん でいる人もみんな英語を使う。その村に1週間なり1ヶ月なり留学すると毎日英語どっぷりで、本当に留学したのと同じくらいレベルがあがる。浦添の米軍基地 跡地にそういう村を作ることができればすばらしい。

不動産業は、突き詰めていくと、街づくりにつながります。

街づくり、村おこしに発展する不動産業が夢です」

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社員は経営者たれ

そのような夢のためにも力をいれるのが人材教育。業界では拓実住宅の社員教育は有名です。社員は全員、宅建主任の資格取得が目標とされています。

拓実住宅の朝礼の様子

拓実住宅の朝礼の様子

新入社員社内研修

新入社員社内研修

「宅建主任の試験結果発表の日、わざと慰労会をします。合格者は何を注文してもいい、しかし落ちた者は来年を目指してお茶とお握りだけです。落ちた人は悔しくて、それで翌年に向けて発奮してもらっています。

実力が付いたらどんどん独立させています。今までに独立した人が15~6人います。宝石店、写真館の経営者、アパート経営など、不動産業以外の仕事をしている人もいます。どんな仕事でも経営者としてのあり方は同じですし、拓実住宅で学んだことは生きている。そのようにして100人の経営者を育てるのが、ぼくの夢です」

どうしてそのような厳しい目標を社員に科すのかというところに、上原さんの経営哲学がありました。篤い経営学を熱く語っていただきました。

「経営者は自分を経営しなくてはならない、つまり自分の生き方を経営しているわけです。どういう生き方をしているか、経営者にはおのずと問われてきます。多くの人が経営者になり、人生をしっかり経営できるような生き方をすれば世の中はきっと良くなると思う。

それぞれの経営者の下で社員が幸せになると、その家族も幸せになります。家族が幸せになるとその周りの人たちも幸せにする。そうして幸せが広がる。県内へ、国内へ、さらにもっと世界へ、そういう幸せな信念を発信できるようになりたい。

拓実住宅のぼくらにはそのノウハウがある。つまり、世界を幸せにするノウハウをぼくらは知っているのですよ」

拓美住宅の社員の皆さん

拓美住宅の社員の皆さん

 

 

<社長さんはアイデアマン!>

1、街おこし・街つくり

田舎の活性化・・・家庭菜園ができる農地のある家を作って、全国から移住者を集める。過疎化する離島など、いいのではないだろうか。

英語村・・・英語しか使えない区域を作る。海外留学をしなくてもそこでネイティブの英語を学ぶことができるような場所をぜひ浦添に。長期滞在者はアパート、短期滞在者はホテルに住む。国際交流センターがある浦添にこそ向いている。

2、子供たちの交流資金

県外に遠征するスポーツ団、ボーイスカウト、文化交流団体の子供たちの交通費を助成し、飛行機代1万円以内にする。子供たちは将来、世界中で活躍し交流し、世界の友人を沖縄に招くでしょう。子供こそが将来の観光大使。子供たちが世界に羽ばたけるよう助成したい。

<剣道>

剣道5段。6段試験を何度も受けますが、なかなか受からない。

剣道と経営の勉強はオーバーラップします。経営も剣道も、全ての失敗の原因は自分です。何をしても自分が出るので、素直な気持ちにならなくてはならない。そういう状況になれたら、経営もすぱーんと行く、剣道6段も受かるのではないか、と思いますね。儲けよう、勝とうなという邪心を持つと、どちらもうまくいかない。

<ビジネスモールうらそえに期待>

効率の良い宣伝効果を期待しています。できれば浦添だけでなく、県内全域、もっというと、全国の人がこのサイトを見てくれたらいいと思いますね。その価値があります。

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上原睦人
糸満市糸満生まれ
56年6月 会社設立 父康造氏が代表取締役社長
61年 社長を継ぐ

商工会議所議員
家族は妻と3男2女。
学生時代からの剣道は5段。

社訓
天の時(機)
地の利(立場)
人の和(合意)
事の成就天地人合致の法則

有限会社 拓実住宅

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【住所】 〒901-2126
沖縄県浦添市宮城1-28-3
【電話】 (098)879-0241
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