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【防災特集3】港川自治会津波避難防災訓練(後編)
画像は東日本大震災で被災した釜石市立唐丹小学校の体育館
昨年3月11日に全世界を震撼させた東日本大震災後、全国各地で大規模災害による防災意識が高まり、国を上げて防災対策の見直しが図られています。
しかし、沖縄に住む私たちは何時来るか分からない地震・津波の被害を身近で体験していないせいか、大規模災害に関する防災意識は、未だ未だ低いように思えます。
その中で、去る10月21日に港川地区(下港川)で行われた津波避難訓練の実施模様を前編でお伝えしました。
後編では、その津波避難訓練の中心的リーダーである港川自治会長の銘苅全郎さんに、避難訓練から見えてきた避難対策の様々な問題点や課題を語っていただきました。
私たち市民・県民の人命に関わる大事な防災テーマですので、是非ご拝読ください!
津波避難訓練を振り返って
Q この津波避難訓練における目標や目的は?
(銘苅)「今現在、行政からこの地域の避難場所も避難ルートも示されていない。
その為、早急に私たち住民が独自で適切な避難場所や、避難ルートの検証及び避難行動における問題点・課題を把握しないといけない。
そして行政に対し異議を唱え要請することが必要だと思った。
今回の想定は、『沖縄近海でマグニチュード8以上で震度6の大地震が発生し、30分後には高さ10メートルの津波が押し寄せる』とした。
この時、今まで経験したことのない大きな揺れを感じ平常心を取り戻すまで時間のロスを考えなければならない。
その為、15分以内に高台へ避難が完了するという目標を掲げ、実行委員会メンバーや自治会役員が何度も避難場所やルートを移動し検討を行ってきました。その中で様々な問題や課題の洗い出しと検証を行い、それを基に行政の防災対策に異議を唱えてたいと考えた。」
Q この津波避難訓練で出てきた問題点は?
今回の避難訓練を行う上で以下のような、様々な問題が挙がってきた。
① 実際に避難出来る適切な避難場所やルートの選定と検証
② 実際に避難先までどれ位の時間を目標とするのか
③ 迅速な避難誘導の体制づくりは
④ お年寄りや足の不自由な歩行困難者の避難方法
⑤津波避難訓練の周知と多くの参加者の動員
⑥ 住民に対しての避難指示の連絡方法 等々
(銘苅)「まず、現在、この地域に津波警報が発令された場合、避難する高台や避難先が示されていないため、この地域で避難先に適している場所の選定から行った。
沖縄電力側に住む住民は近くに県営港川市街地住宅があり、最初はそこを避難ビルとしては?と考えた。
しかし、実際に県に伺うと、そこは築年数が古く耐震強度に問題があるため『避難ビルとして不適である』との回答。
そのため、近くの高台として“タケーヌシー”(海抜25m)を選択した。
しかし、高台に上がっても、国道側へはフェンスがあり、そのままでは孤立してしまう。何時でも抜けられるようにしてもらう必要がある。
又、シリンカー奥の新しい分譲住宅街(エスバイエル)については、サンハイツの坂道を上がって行けば直ぐに海抜の高い国道裏道に抜ける一本道以外に避難路がなく、その他に逃げられるルートを考えなければならないなど、問題は山積している。
タケーヌシーから国道に抜ける道を塞ぐフェンス |
今回は、様々な専門家の分析を参考にし『マグニチュード8以上で震度6の大地震が発生し、30分後には高さ10メートルの津波が押し寄せる。』という最悪のケースを想定しました。
この場合地震発生の時には今まで経験したことのない大きな揺れを感じ平常心を取り戻すまで時間のロスを考えなければならない。そのため、15分以内に高台へ避難が完了するという目標を掲げた。
避難誘導の体制については、自治会役員並びに消防署・警察署や市社会福祉協議会、ボランティア団体のほか地域住民の高校生たちが協力し、各地域の避難ルートで誘導を行った。
しかし、実際の災害時には、社会福祉協議会やボランティア団体などの協力者もおらず、消防署や警察はその他で手いっぱいであてにならない。そのため、地域住民が中心となる自主防災組織(消防団)を結成し、誘導を行う体制づくりが必要と考える。
誘導を行う地域住民 | 車椅子の老人を援護する高校生 |
また、災害時、行政からの避難行動ついては“徒歩で逃げなさい”と指導しているが、お年寄りや歩行困難者についてはどうするのか?その事に何ら避難方法を示していない。
その為、自治会独自に歩行困難者の避難方法として自治会役員や近隣住民が歩行困難者を把握し、いち早く駆けつけ車いすやおんぶなどを行い、高いところに避難することとしました。
また、高齢者の歩行困難者については集団で車による高台への避難実施を行い、スムーズに避難が可能かの検証も行った。
(東日本大震災では、車で逃げたことにより渋滞に巻込まれ、そのまま被災した方が多い。そのため、避難時には徒歩で逃げるという事が前提としてある。)
歩行困難者を集団で車による避難実施の様子 |
今回の津波避難訓練の周知は、数か月前から“自治会だより”やチラシ配布による呼びかけを行ったが自治会に未入会の住民もおり、実際にどの位の参加人数になるのかは未知数であった。特に高齢者の方たちは、“わったーはしむさ、若い人たちでやりなさい”と遠慮していた。
私たち自治会役員は、そんなお年寄りに対して、
『大人や高齢者が率先して逃げる行動をしないため、走って逃げられる子ども達もその大人たちの行動を見て諦めてしまう。あなた方高齢者こそ“年寄りでも生き抜くためには必死で逃げる”という事を子ども達に見せて、教える義務があるのではないか!』
『自分たちは生きることを諦めて、若い人たちに“逃げなさい”なんて、無責任なことではいけないのでは...!』と説得して回った。
実際にこの津波避難訓練では予想を上回る参加人数となり、高齢者も多く参加し避難訓練としては大成功であった。
しかし、この訓練で一番の問題は、如何に住民に向けていち早く避難指示の連絡ができるかである。
行政はJアラート(全国瞬時警報システム)を推奨しているが、実際には音声が流れないなどのトラブルや起動してもスピーカーの音が聞こえないなど信頼性に疑問があり、アテにはならない?
※先日(H24年12月12日)の北朝鮮ミサイル発射報道にしても、ラジオ・テレビでは緊急情報を流しているが、港川地区の防災スピーカーは無音であったこともその証明ではないだろうか。
また、住民への避難勧告は消防庁からの情報で市の首長が判断し、各自治会長に緊急連絡がある事になっているが、そこから住民に伝える術がない。
特に夜間や休日など閉庁している場合、担当者が駆けつけてからの避難指示ではとても間に合わず被害が拡大してしまう。そのためには、住民に直接 避難勧告を伝える仕組みが必要ではないかと思う。
それには、今の現代社会で必需品となった携帯電話を使用した緊急情報の発信システムが必要ではないか?
先日『災害を生き抜くチカラ』というNHK特番(H24年10月12日放送)にも紹介され北大東村で整備された携帯電話を使った情報配信システムは、役場からだけの情報発信ではなく地域自治会からでも発信できる仕組みであり、有効な手段だと思う。
緊急の場合は、行政からの避難支持を待つのではなく地元住民が率先して情報を送れる仕組みが必要ではないか!」
NHK特別番組(H24年10月12日放送)
『災害を生き抜くチカラ』
Q 今回、独自で避難先を選定した理由は?
(銘苅)「港川地域は海抜が5mしかなく、地震が発生したら直ぐに高台に避難する必要がある。避難場所として沖縄電力側近くの県営港川市街地住宅が良いと思っていた。
しかし、そこは築年数が古く倒壊の恐れがあり、県からは避難ビルとしては認められないとの返事があった。
また、市より指定避難場所とされている港川小学校を避難場所としなかった理由は、1981年に変わった耐震基準以前に建てられた校舎で、震度6以上の地震では確実に倒壊する。
これは、もし授業中に大地震が発生したら子ども達は、がれきの中に埋まってしまうということ。
安全な場所とされる学校が一番危険であり、そこが何故、避難場所になっているのか?行政は本当に矛盾していると思う。
それで、住民が徒歩で早く避難することが出来、一番安全と思われる場所を新たに選定した。
※その他に市内では浦添小学校も旧耐震基準の時に建てられた校舎で現在の耐震基準を満たしていない。大地震発生時には倒壊するため早急に建て替えが必要である。
港川小学校で行われた防災訓練! [小学生880名+幼稚園70名]
校長 崎濱秀一 氏
11月5日(月)14:00頃から、小学生・幼稚園生を含めた全校生徒による防災訓練を実施しました。
防災訓練は地震発生後、火災が起きたという想定で、地震発生時には机の下に隠れ、その後 運動場に一旦集合した。更に、津波が発生し避難指示が出た事を想定し、裏門から高台へ避難するというルートで訓練を行ないました。
避難所に指定されている学校から校外への避難した理由は、本来なら校舎に戻るはずが、現在の校舎が耐震基準を満たしておらず地震の際には倒壊の可能性が高いため、校舎内に戻ることは危険と判断。
本来安全であるべき学校がその様な状況であるため、地震発生時は校舎から離れ、逆に学校外へ避難せざるを得ない選択肢しかなかった。
危険と言わざるを得ない校舎の中で毎日授業をしており、子ども達を預かる身としていつも心配しています。
大雨で校舎の一部が崩落!!(緊急取材レポート)
港川小学校の保護者(母親)より、「子ども達から、先日(12月初旬)の大雨で校舎屋根のコンクリート片が落ちてきて危なかったという話を聞かされた」との情報から、急遽その校舎を取材した。
水飲み場近くにコンクリート片の塊が崩落。 | 1階~3階の校舎ヒサシから落下 |
コンクリート片の塊が剥がれ落ちたのは、なんと子ども達が頻繁に行き来する小学校中庭の“水飲み場”上の1階2階3階校舎ヒサシからの落下で、コンクリートのヒサシからは錆び付いた鉄筋が剥き出しとなっており、崩落時は雨天のため、幸いに子ども達は近くにいなかったので被害はなかったとのこと。その保護者の子ども達は、「雨が降っていたので、たまたま廊下から外を見ていたら突然目の前にコンクリートの塊が空から落ちてきたのでビックリした」との話を聞かされて驚いたという。
左側に補修した跡が見られ、 新たに右側が崩落している。 |
長さ30cmのコンクリート片もあった。 |
また、その他に老朽化した校舎のあちらこちらで補修跡が見られることから今回、初めてではなく以前より崩落事故が繰り返されていた事が分かる。
校舎の至る所でコンクリートが剥がれ落ちている。 | 手スリも腐食が進んでおり危険。 |
手すりなども錆び付き、至る所でコンクリートにひび割れなども見られる。大雨でコンクリート片が崩落するぐらいであるから、授業中に地震が発生した場合は確実に倒壊するであろう。
玄関のヒサシにも亀裂。 | 亀裂部の拡大写真 |
学校側から浦添市には報告済みであるが、12月11日現在 対応策についての回答はないとの事。この様に危険な学校校舎の中で授業をさせること自体、大問題である。
又、その老朽化した危険な学校が災害時の指定避難場所になっており、市民をより危険な場所に避難誘導してしまうことになるのではないか?
これまで順次、教育委員会の老朽校舎の建て替え計画に合わせ、各小・中学校の校舎再建を市の事業として行って来たとの事であるが、現在、浦添市内で老朽化し建て替えが必要な学校は、浦添小学校(S54年建設 築33年)と港川小学校(S55年建設 築32年)の2校のみとなっている。
教育委員会によると、昨年の3.11以降学校校舎の耐震性が最も重要視されてきたこともあり、残り2校については以前より早期に耐震性を強化した新校舎建設工事の実施計画があったとのこと。
しかし、昨年(H23年)の8月にその計画が何故か白紙に戻され、計画自体が消えたというのである? 子ども達が犠牲になってからでは遅く、早急に新校舎建設工事の計画再開を図る必要があるのではないだろうか?
計画自体が無くなった事を港川小学校側にも報告されていなかったため、この件は我が子の命に関わることで保護者にとって非常に重要な事項である。しかし、保護者らには誰にも知らされず、隠蔽されていた事になる。この様な市行政側の無神経さに驚くしかない。
他に現在避難所指定が問題視されている学校について
牧港小学校で行われた防災訓練! [小学生582名+幼稚園130名]
喜屋武教諭からの報告
11月5日(月)14:00頃から、全校生徒による防災訓練を実施しました。防災訓練は地震発生後、約20mの津波が押し寄せるという想定で、パイプライン側と住宅街側の2箇所の避難ルートから、伊祖公園に避難するという計画で行ないました。
今回は、現在の校舎に耐震強度的問題が無いかどうか分からないため、取りあえず校舎の最上階への避難を避け、伊祖公園を避難場所に選びました。但し、安全性が確認できた場合は、校舎に残る選択肢もあるかもしれません。
避難訓練では、2つのルートで避難しました。パイプライン側ルートにはガードレールがないため危険が伴い、住宅街側ルートは予定外に駐車された車で道がふさがれ狭い道を駆け上がらなくてはならないという問題点がそれぞれ浮上し、避難ルートを再検討する必要が出てきました。
※(専門家からのアドバイス:東日本大震災の津波被害から分かる様に、津波は2波・3波と次々に大きくなって押し寄せてきます。
15~19mの地に校舎があっても牧港川からの遡上で周りが水没する可能性があり、校舎に残るとそれ以外に避難することが出来ず、逃げ道を失い孤立してしまいます。
避難対策の観点からいうと校舎ではなく、次の避難先にも移動できる高台を1次避難先にすることが大切です)
マチナトタウン自治会で行われた防災訓練! [県営牧港団地(通称:動物団地)付近 約330世帯]
大城常春 自治会長
11月4日(日)に初めて津波避難訓練を行い、独自で新たな避難先を決め訓練を行った『マチナトタウン自治会』の大城常春自治会長に、話を伺いました。
牧港川沿いのこの地域は、海抜約4mで地震の際には川からの遡上で津波被害が最も懸念される所。その地域の指定避難所が牧港川を渡らなければならない牧港小学校で、避難できたとしても海抜も低いため孤立する可能性があり、大地震が発生した場合は危険と感じた。
浦添市側からは東日本大震災後も地震・津波の避難に関する指導相談などの連絡が一切ないため、行政をアテにせず私たち独自で避難先を選定し、避難ルートを住民に知ってもらう目的で避難訓練を行った。
今回、新たに選定した避難先は、牧港ハイツ自治会と相談し嘉数高台側にある海抜50mの牧港ハイツ自治会敷地とした。
もし災害が発生したら浦添市は何もしてくれないだろうから、自分たちで生命を守るしかないと考えています。
避難訓練の参加者は小学生から70歳代のお年寄りまで約70名が参加し、20~25分で避難先に到着することができた。
牧港川沿い動物団地付近 | 牧港ハイツ自治会のある嘉数高台付近(標高50m) |
Q 今回の下港川地域の津波避難訓練を振り返って
(銘苅)「今回の住民が中心となった津波避難訓練では、この港川地域の住民が津波被害を受ける可能性があるということを受け入れてくれるか不安であった。
東日本大震災で全国的に津波警報が発令された時でも、“ここは大丈夫”だと誰一人避難する住民はいなかった。
それ故に、津波避難訓練に関心を示し実際に参加してくれる住民が予想を遥かに超えたことは、言葉にならないくらい嬉しいことであり、この訓練をきっかけに隣り近所のコニュニケーションが生まれてきた。
これは、本来の自治会が求めていたことで、この交流によって地域の絆を築くことが出来、地域や自治会活動の活性化が期待できると思う。
しかし、想定していなかった問題もある。それは、住んでいる住民と指導する行政側との意識の違いである。 県の津波想定は港川地域で約4m。
東日本大震災では想定外の津波被害を経験しながら以前のままの津波想定であり、浦添市の地域防災計画も震災前の平成22年9月に修正したものが最新である。
(浦添市地域防災計画修正要旨、浦添市役所HP)
これまでに行われた市主導の避難訓練では、住民が参加し実際を想定した避難訓練となっていない。
訓練を行ったというアリバイづくりのための危機感のないセレモニー的な訓練と言える。行政は実際に災害が起きた時のことを考えているのか?いざという時に備え最悪を想定した避難訓練を行うことが必要ではではないか!
また、実際に災害が起きた場合を想定した避難先が明確に示されていないため、住民は普段から避難先や避難ルートを確かめることが出来ず、避難する場合のルールも定められていない。
これは、ここだけではなく他の地域にも言えることで、早急に行政が住民に示す必要があるのではないか。それと共に学校教育の中や職場、住民向けの防災訓練を行い、いざという時の危機意識を高める必要がある。
岩手県釜石市で行っている地域参加の避難訓練
リヤカーを使って怪我をした児童や生徒の避難を支援 (鵜住居小学校・釜石東中学校にて実施) |
応急救護訓練を受ける (釜石市総合防災訓練) |
※岩手県釜石市は日頃から津波防災の教育を行っており、東日本大震災時にはその避難訓練が活かされた。
震災時の小中学生 避難率ほぼ100%で、“釜石の奇跡”と呼ばれた。 ◆ 釜石の奇跡とは
岩手県釜石市 津波防災教育のための手引き
東日本大震災の被災地でも、常日頃から学校と共同で避難訓練をした地域と、しなかった地域との被害者数は天地の差があり、ここ沖縄でも“対岸の火事”ではないと認識しなければならない。
更に感じたのは情報伝達の問題で、今回の防災訓練でもサイレンや避難指示のスピーカーが聞こえなかったという声が多く、現在の防災無線はあてにならない。
避難訓練の様に自治会役員が各家々を回るわけにもいかない。如何に早く住民に避難指示を伝えるかを検討しなければならない。
この様に今回の訓練で分かった様々な問題や課題を行政側に提起し、取り組んでもらいよう要請したいと考えている。」
と、常に地域住民の安全を考える銘苅会長の意気込みが伝わってくる。
最後に
【報道ステーション特番】
「南海トラフー琉球海溝30mの津波の超巨大地震の可能性」より
北側が南海トラフと呼ばれ、南側は琉球海溝と呼ばれているが、ひとつに
つながっているため、超巨大地震が起きることも考えられるというのだ。
その際は日本全体が地震・津波の大きな被害に遭い、最南端の沖縄県は本土からの救援もなく取り残されることになる。沿岸部にある港や海抜の低い空港は使用が出来ず、物流を海路・空路に頼っている沖縄の流通はマヒし、海岸や低地に立地している電力・石油・ガスなどのライフラインも寸断されることでしょう。
この様に最近の調査で、沖縄における震災の可能性がクローズアップされ、住民の危機意識も高くなっていることが伺えます。
しかし、残念なことに今回の津波避難訓練で津波被害を深刻に受け止める住民側と東日本大震災以前の防災計画(2009年作成)に依存した行政側の危機意識のなさのギャップも浮き彫りになりました。
東日本大震災後、全国で防災計画の見直しが叫ばれている中、沖縄県の防災計画の改善が遅かったことをいい事に、市は2009年に作成した計画を変えようとしていません。
昨年2011年12月には、国から「被害防止の推進計画などの具体策は、地域の実情を最も知る市町村が主導するのが重要」と指針が出ています。
日本国民を震撼させた東日本大震災から丸2年が経過しようとしている中、その経験を活かした防災対策の改善も進んでいないようです。
それが、安全であるべき学校でコンクリート片が子供たちの頭上の近くに落ちてきても直ぐに対応しない、人身事故が起きないと分からない体質が老朽化している学校校舎のずさんな維持管理にも表れています。
浦添市内で老朽化した学校(浦添小学校・港川小学校)の新校舎建設工事の計画がありましたが東日本大震災後にも関わらず、どういう理由か昨年8月(平成23年)に延期ではなく計画自体が白紙に戻されており、早急に計画の復活が叫ばれています。
この様な防災行政の危機意識が欠如しているのは、裏を返すと行政側に何も言わない私たち浦添市民の防災意識の低さが防災計画改善の遅れを許し、危険から子ども達を守ることの出来ない状況を生んでいるのでいるのではないでしょうか?
私たち市民も防災対策を行政任せにするのではなく、防災の意識を高め浦添市の防災行政を改善させる努力をする必要があるのではないでしょうか!
今後、行政側は住民側の要望・要請に耳を傾け早急な防災計画の見直しと、市民生活を守る行政側がリーダーシップを取り、緊急情報の伝達方法や各地域での防災教育を真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。
そのことで、まち全体の防災・減災対策に繋がり、更に地域の絆の再構築と地域活性化が図られるものと思われます。 この防災訓練を踏まえ、これからの浦添市の減災対策を期待したいと考えます。
“私たちも、沖縄の防災対策推進を応援しています。”
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