HOME > 特集 > 浦添の元気企業 > 企業特集第33回 「お互いが良くなるために 意識を高く 気付ける人になろう」株式会社 てだこ 代表取締役社長 佐和田健二 氏
企業特集第33回 「お互いが良くなるために 意識を高く 気付ける人になろう」株式会社 てだこ 代表取締役社長 佐和田健二 氏
浦添市不動産業の老舗 「有限会社てだこ」 さんでは、一昨年の2016年1月に突然、社長の交代が有りました。
“有限会社てだこ”の代表取締役社長として長年頑張っていらっしゃった新里義一氏が、社長職を退き会長に就任。
新たに後任の社長として佐和田健二氏が就任されたということです。昨年2017年、有限会社から株式会社への移行、そして会社も移転された事も含めて、世代交代をされた経緯と、社長就任の抱負を佐和田新社長にお聴きいたしました。
こんにちは、初めまして、佐和田社長!まずは、佐和田健二さん、とはどんな方なのか?
という処から質問を始めさせていただきたいと思いますので 宜しくお願いいたします。
こちらこそ、宜しくお願いいたします。
さて、お名前が、歌手の沢田研二さんと、字は違えども同姓同名でありますが(笑)冷やかされたりしませんでしょうか?
【宮古・伊良部島の ジュリー とは?】
ずっと、冷やかされっぱなしですよ!(笑) まず、カラオケに行くとかならず最初に歌わされるんです。
それで 「勝手にしやがれ」 とか、「危険なふたり」 をカラオケの十八番にしています。
やっぱり、そうですか!面白い。(笑)
歌いすぎて、自分の歌だと思い込んでいますよ。(笑)
私は昭和47年生まれの復帰っ子で、4人兄妹の末っ子として生まれました。当時、「ジュリー」が流行っていたということで、
※ジュリーこと沢田研二は、1971年1月にタイガース解散後、同年11月にソロデビューし「君をのせて」オリコン23位、1972年「許されない愛」でオリコン4位、1973年「危険なふたり」がオリコン1位で日本歌謡大賞を受賞するという当時、うなぎ上りの絶頂期だった。
3人の兄姉が 「とても流行ってるし、しかも うちはサワダ だし、ケンジしかないんじゃない?」 ということで兄姉に決められてしまった名前なのです。(笑)
いちばん上は長男兄で7歳違うんです。二番目が長女姉で6歳、三番目が次女姉4歳違いの兄妹達の言葉に両親もめんどくさいから、そうしたみたいです。末っ子はどこも名付けが適当みたい。(笑)
ご兄妹から末っ子で可愛がられたんですね!
今では、そのお蔭で、どこへ行ってもすぐに覚えてもらえるので助かってます。
いい意味での冷やかしですね!
そう、逆に自分から歌わせてくれと言ってます。
ところが、最近はジュリーを知らない世代が増えました。
出身は宮古島ですか?
そうです。自分は宮古島の伊良部島に生まれ育ち、伊良部島には高校生まで居りました。
伊良部高校? 部活はされましたか?
伊良部高校の5期生です!前半はバレーボールで後半はハンドボールをやってました。バレーボールは背が足りないので早くで諦めハンドボールに切り替えました。(笑) でも宮古地区では優勝しましたよ。
高校を卒業して福岡の大学に進みました。それから大学を卒業して沖縄本島に戻って来たという感じです。
伊良部の小さな島から沖縄本島を経ず、いきなり福岡なので大変勉強になりました。
言葉も通じないし、お金の使い方も知らないんですから。(笑)
【お金の有りがたさと、仕事の面白さを学んだ】
最初は、伊良部の実家からいきなり福岡の大都会に出て来て自分で生活するわけですから、お金の使い方が分からず、一週間で 持ってきた生活費の全額を使い切ってしまったのです。20~30万円あったものが無くなったので、「これでは死んでしまう!」と思いました。
そこから、何でもいいからバイトを探してお金を稼がなくては生きて行けないと思ったのです。まずは、コンビニで働いたのですが、月末にしか給料は貰えないため、日雇いの土木作業にも出て日当を得ながらコンビニのバイトも並行して続けました。その時に、お金の有りがたさを学んだのです。
大学は第一経済大学の経済学部経済学科でしたが、大学生活は大学にはあまり行かずバイトばかりしていました。派遣会社のバイトにのめり込み、色んな仕事を経験できることが面白くてバイトに明け暮れていました。
土木の仕事で福岡ドームの建設に携わり、起工式からこけら落としまで関わりました。完成後も会場内での警備の仕事や、会場設営の仕事も経験させてもらいました。
ドームは野球だけでなくサッカーや、コンサート等の色々な催しに合わせて会場を変えなければならなかったので、その設営経験は大変面白かったです。
サッカーグラウンドの芝などは人工でなく、本物でしたので、田圃からわざわざ持って来て敷いたのです。その作業はきつかったのですが、設営工程は大変興味深い経験でした。
大学を卒業した後、福岡は住みやすかったのでここに留まるか、沖縄に帰るか悩みましたが、結局 付き合っていた彼女を追い掛けて沖縄に戻りました(笑)。 その後暫く、沖縄本島のコープ物流倉庫で物流の仕事をしておりました。しかし、当時、長男兄が宮古島で不動産業を立ち上げており、何度も呼ばれてはいたが宮古島には帰る気がしなかったので断り続けていました。
【不動産業を始めたきっかけ】
7年後に、兄から、とっても忙しいので、どうしても手伝って欲しいと頼まれ、宮古島に戻ったのです。
1999年頃で、当時宮古では兄の会社(住宅情報センター㈱)以外は、アパートの賃貸管理をする不動産会社は有りませんでした。ですから家賃の集金や入居者募集等の仕事等で、アパートのオーナーさんからの引き合いが多く、ほんとに忙しかったですね。
【新里会長との出会い】
その頃、(有)てだこの新里社長(現会長)に出会ったんです。
兄も以前より不動産会社の運営ノウハウを新里会長から教わっていたこともあり、自分も宮古に戻って2~3年後に何回か新里会長を訪ねて仕事を教えて戴いておりました。
その頃からの出会いです。
宮古島では賃貸管理業を行っている不動産会社は無く、お手本となる所が無かったので、(有)てだこの賃貸管理システムを学びに度々訪れていました。
その頃、(有)てだこは浦添で手広く不動産の賃貸管理業を行っていまして、管理システムがかなり進んでいました。
それを参考に色々と見せてもらい、真似させて戴きました。
宮古島に戻って5年後の2004年に兄の会社である住宅情報センター㈱は石垣島に支社を出しました。
自分が支店長として赴任し、そこで5年間勤務しました。石垣に行った頃は丁度、沖縄ブームが去って、リーマンショックが起こり、東日本震災が襲うトリプルパンチで観光客は激減し、その影響で店じまいする飲食店が続出。
本土から住民票を移さずに働きに来ていた親のすねかじりの若者達(幽霊人口)も引き上げて行った後でした。ですから、石垣市内のアパートが一気に余りだしたんです。図らずも、空アパートの不動産管理でお役に立てたんですね、結果として石垣進出はタイミングを得た形になりました。
その後、2010年に那覇へ出店する事となり、真嘉比に支店を出し、自分が店長として赴任し、順調に5年間の営業開拓実績を積み上げ会社規模を拡大させてきました。
そんな中、2001年頃から親しくお付き合いさせて戴いている新里会長から相談が有り、
会長も後継者がいないので、そろそろ引退したいとのお話がちらほら出て来たのです。
そして、会長は自分らの仕事ぶりを評価してくれていた様で、住宅情報センター(株)の経営手法を(有)てだこへ導入して欲しいとの要望もありました。
それで、急速に話が進み一気に引退された訳なんです。
そして、自分が2016年1月から会社を引き継ぎ、代表取締役社長に就いたという経緯で、けっして突然ではないんです。
なるほど、そうだったんですね! それで社長に就任されて最初に行った事とは?
社員とのコミュニケーションを取ったことですかね。
どういう事ですか?
新里会長の時代は強烈なリーダーシップとトップダウンで会社をこれまで牽引してきたのですが、これには自ずと限界があるんです。
これから、会社をさらに拡大成長させて行くためには全員参加型経営のボトムアップが大切で、チームで仕事をこなしていくやり方にして行かないと大きな成長は得られません。
「やり甲斐」や「経営に参加している意識」が成長を生むので、誰かに任せたやり方では成長が鈍る。
色んな経験をしてもらい「自分で考えて働く」ことが重要で、会社の方針や方向性も「皆で考えて向いていく方向性」でないと、まとまったベクトルにはならない。
社長があーせい、こーせいで作ったものでなくて、社員が皆で作り上げた目的目標に向かって行くという事ですね。
まー それでも全責任は私(社長)が取るのですけれども、それを実行する責任は皆さん(社員)が持ってくださいという事です。
そうすると高い意識を持った強いベクトルが生まれます。会社を成長させるには全社員が参加した経営でなければ拡大成長はあり得ないという考え方です。
なるほど、新里会長にお願いされた「住宅情報センター㈱の経営手法を導入して欲しい」という案件を全社員とコミュニケーションを取って、これからはボトムアップ形式の会社運営方式を導入しますと説明したわけですね。
その通りです。
では、社長就任後、株式会社へ移行、そして2016年11月に本社移転と那覇支店の開設についてお聞かせ下さい。
〇宮古島に本社を置く 住宅情報センター㈱ が親会社となり、㈱てだこ はグループ傘下の企業となります。
〇そして、沖縄本島内は全て ㈱てだこ として業務を行うことになります。
〇住宅情報センター㈱の真嘉比支店は ㈱てだこ の那覇支店とし2月に開設しました。
〇株式会社への移行と、会社移転は社員も24名~30名に増え、旧社屋が手狭となり、お客様の駐車場も増やしたいとの希望から今の新社屋ビルが空いたので、ゆいレールの浦西てだこ駅にも近い利点も考慮して決め11月に同時に行いました。
㈱てだこが 住宅情報センター㈱ のグループ傘下の企業となったことで沖縄本島はもちろんのこと、宮古、八重山までグループ事業所を持つことでのメリットがあると思いますが、どうですか?
やはり、沖縄本島の不動産物件の問い合わせだけではなく、宮古圏、八重山圏の不動産投資・問い合わせに答えることが出来る事で広域圏の商談に対応出来ることと、本土からの物件問い合わせに対して迅速な情報提供が出来ることでお客さんからの信頼を得ることが出来ていると思います。
※新社屋の応接室にはディアマンテスのアルベルト城間さん制作のオブジェが飾られている。佐和田社長と親交がありアルベルトさんから記念に戴いたそうだ。
【 ゆいレール浦添前田駅~浦西てだこ駅の 地区開発に伴なう施策とは?】
駅周辺の開発に伴ない コインパーキング 及び 貸し倉庫のニーズが高まっており、足りないぐらいなので、それらの事業化に着手しています。
コンテナを改造した既存の貸し倉庫は、いま何処もほぼ満杯の状況。集合住宅では増えるレジャー用品や趣味の道具などが狭くて置いておけないため、月数千円なら借りたいというニーズがそうとう増えているんです。これから駅周辺に出来るアパート・マンションでは、必要になってくるでしょう。更に、事業者が商品在庫を保管する倉庫としての需要も有るんです。
パーキングは月極めの契約になると夜か昼が空いているのです。注目しているのは、国内最大の駐車場予約サービス akippa で、カメラ管理(認証式)で契約されていない月極駐車場や個人宅の車庫に、15分~1日単位でネット予約して駐車できるサービスです。駅周辺には駐車場が必要になってきますから今から手掛けています。
モノレール駅周辺にはイオンモールの大型複合型商業施設の進出が決まっていますが、何か考えられていますか?
弊社はイオンとの提携でイオンカードで家賃が支払えるシステムを行っております。これは不動産業で弊社のみのサービスとなっております。同時にポイントがたまりますので月約5~6万円の家賃ですから金額に合わせてポイントも大きくお得です。
今後、沖縄の不動産業の展望を現状と将来を見据えてお願いします。
【 人口増加と沖縄への投機バブル 】
先ず、MICE が来ますのでその影響に期待しております。弊社は西原町方面の管理物件も多くあることから開発を楽しみにしています。
まだまだ人口も増えていますのであと10年はまず確実に増え続けるでしょう。しかし、その後は分からないところですね、もしかしたら、増えずにそのままの数値が暫く推移するという見方もあれば、キンザーや普天間の基地返還で大きく変わって行くかも知れません。
浦添の西海岸道路の開通で来年の夏にはライカムを凌ぐ県内最大のサンエーパルコ(大規模大型複合商業施設)ができますが、それに伴い沖縄の不動産価格はかなり上昇しておりバブルが起きています。沖縄では新都心ー浦添ー宜野湾が軒並み上昇!まさにバブルです!また本土開発業者の新規参入が多いですね、ただ沖縄は独特の雰囲気が有りますので自由には出来ません。但し、本土からの沖縄の不動産を買いあさる個人投資家は急激に増えています。その理由は、本土での投資先が無くなって来ているのです。自ずと投資家の注目が沖縄に集まるわけです。
【 民泊投資が沖縄の居住環境を変える可能性 】
更に、アジアが元気なので沖縄が日本の玄関先みたいなものとなっていて入りやすいためアジアの観光客がどんどん入ってくる。特に中国からが増えていますから、沖縄の観光地としてのメリットが大きい分、中国からの不動産投資も多く入って来ています。アパート・マンション・ビジネスホテル等への不動産投資でアジア外国人向けのインバウンド宿泊施設としての投資という事です。
【※新聞資料】「民泊オーナーは8割りが県外」仲介業も営む業界関係者はこう指摘する。この2・3年民泊用物件を求めて、県外からの問い合わせが県内不動産会社に相次いだ。情報をたどると多くが、都心での民泊運営のビジネスセミナーの受講者たち、不動産が高い都市部より沖縄で民泊を運営した方がもうかると、指南されていた。(2018年6月6日沖縄タイムス1面記事より)
個人のアパートをアジア外国人向けの宿泊施設に活用しようというのが民泊で、今までは地域が限定されていたのですが、今年から法律が変わってやりやすくなります。6月15日に民泊新法が施行されましたので、何処でも営めるようになります。但し、「180日間に限り、民宿として使って良い」 という法律なんですが、この件では不動産業と ホテル業とが、かなり議論を戦わせてきて決着したのが180日限定という規制なんです。
半年だけの民泊ではペイは難しいですよね、でも、ウィークリーやマンスリーマンションとして貸して、空いた日の1・2泊を民泊で使うなら良いという仕組みなんです。逆に、現在のウィークリー・マンスリーマンションの運営事業は、法律上1・2泊で貸す事を禁じられているのです。更に、殆ど違法運営の民泊だと言われていますが、これまで違法・合法いずれかで行っていた民泊業も規制が厳しくなり、これからは180日制を守らなければならなくなる、ということでもあります。
という事は、恐らく、本土の投資家で沖縄のマンション・アパートを買い不動産を寝かしていた投資家が、「ウイークリー・マンスリー&民泊」という事業をする可能性が増えるという事ですよね。
そうすると、ぐじゃぐじゃな事になり、けじめが無くなってしまうのでは? という心配ごとが湧いて来ますね。
この辺は、運営する側がきちんとした運営をしないと、地域(他の住居人)とのトラブルになる可能性はとても高いと思います。
【※新聞資料】那覇市の調べでは昨年市内の民泊622軒を調査した結果、8割りが無許可の「ヤミ民泊」だったという。住宅地域に突然現れる民泊は周辺住民との摩擦を起こしている。2017年に那覇市に寄せられた民泊に関する苦情・相談は450件。(2018年6月6日沖縄タイムス1面記事より)
浦添市はホテルがないからと言って民泊事業を簡単に考えて推進しようとしていますが、旗の振り方しだいでは大きな問題になりかねないですね、これは認可する行政側も責任が伴います。きちんとしたガイドラインを立て運営側を指導して頂き、地域住民との混乱を起さない様にして頂きたいですね。
【 ボランティア活動 】
最後に、会社で行っていらっしゃる社会奉仕活動等があればご紹介下さい。
社員教育の一貫として、日本を美しくする会(トイレ掃除に学ぶ会)
イエローハットの創設者 鍵山秀三郎 氏 が提唱した会です。
「自社のきつい仕事で社員の心が荒んだことをきっかけに、トイレ掃除で少しでも心が穏やかになれたら
との思いでトイレ掃除を始めたら、いつの間にか社員も一緒にトイレ掃除を始めた」というエピソード。
「そのエピソードを知り、色んな方々が感銘を受けて一緒に活動を共にする様になり、それが会となった。」
ということで、㈱てだこも、当山小学校のトイレ掃除を毎週金曜日の朝に行っています。
学校が休みの時には会社の近くの公園のトイレを掃除させてもらっています。
【 社員教育が トイレ清掃奉仕活動! 】
トイレの汚れを落とす事は、心の曇りをとり、気付ける人になれることが意識の高い人材を育てる事につながります。
また、子ども達も参加しています。大人たちがやっているのを見て最初は罰ゲームと言っていましたが、だんだんと心が変化して、今では自ら進んで参加してくれる様になりました。
こ ど も 達 か ら の 感 謝 の メ ッ セ ー ジ !
社員教育のトイレ掃除活動のつもりが、結果的に社会奉仕に繋がっていました。
浦添市から奉仕活動が評価され表彰を受けたのです。
凄いですね、立派だと思います。佐和田社長、最後に会社が大切にしている言葉がありましたらご紹介いただけますか。
【 社訓 】経営理念
あなたも良くなれ
私も良くなれ
皆も良くなれ
です。お互いが良くなりましょうという意味ですね。
win win (ウィン ウィン)或いは 相互扶助の精神ですね!有り難うございました。
株式会社 てだこ
- 【本社所在地】
- 沖縄県浦添市当山2-5-6
- 【電話】
- TEL:098-877-3333
- 【企業情報】
- 企業情報ページはこちらから
- 【URL】
- 企業ホームページはこちらから
- 【マップ】
カテゴリー [浦添の元気企業]