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『Peaceful ~君とつなげる虹色~』への思い 岸本 尚泰 (stage creating unit “Be-STUDiO” 代表)

岸本 尚泰 (きしもと まさよし)
(stage creating unit "Be-STUDiO" 代表)

役者/演出/脚本
【主な舞台】
ミュージカルショウ『Joyful+ plus』
『永遠の一秒』 『きみのそばにらじお』他多数
【主な映像】
琉球歴史ドラマ『尚巴志』
『Jimami-Tofu』他多数
1977年4月2日生まれ
出身:名護市
(5才から浦添に生活の場を移す)
学歴:仲西小学校・仲西中学校
浦添工業高校・第一工業大学
趣味:映画鑑賞・舞台鑑賞・野球

6月23日 それは沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされ
当時、アメリカ施政権下の琉球政府は この日を『慰霊の日』と定めた。
1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となり、慰霊の日は法的根拠を失う。
1974年「沖縄県慰霊の日を定める条例」を制定。
改めて6月23日を『慰霊の日』と定めた。

*【我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命
財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受け止め
戦争による惨禍が再び起こることのないよう
人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため】

『Peaceful~』のことを書く前に 少しだけ過去の思い出を語りたい。
仲西小学校に入学した頃 新校舎が完成しましたがグラウンドは古く、取り囲む塀にもコケが覆っていた記憶がある。水はけが悪く 雨が降ればずっと水たまりが出来るようなグラウンドで、体育の授業をしていると 友人が鉄の小さな塊を見つけた。白髪混じりのおばあちゃん担任が「鉄砲の玉だね」と言ったので自分含め男子数人は興奮し、休み時間もずっと水たまりを覗き込んでは小さな鉄の塊を探していた。

他のクラスの担任は若く活発な先生に対し、1年1組の担任だけは たまに怒鳴る白髪混じりのおばあちゃん先生だった。隣のクラスが羨ましかったけど こっちの方が何だか温かみがあった記憶がある。
時折 戦時中の話しをしてくれて、涙を流すこともあった。今、そんな担任はなかなか存在しないのではないだろうか。貴重な体験だったと今では感謝している。

小学4年生まで慰霊の日が近くなると、名護に住んでいる『おばぁー』がバスに乗ってやって来る。
そして家族に連れられ 平和記念公園と ひめゆりの塔に行き、壁一面に刻まれた名前の前で友達を探していた。複数の顔写真のパネルが架けられてある壁の前で立ち止まり、1人の女性の写真を手で触れ泣いていた。

小学4年生の後半から少年野球を始めたので、高校3年生まで慰霊の日は部活のため『おばぁー』と過ごすことはなくなった。そのかわりお昼の12時になると決まって 仲間と黙祷をしていた。
その『おばぁー』はまだ元気であるが、認知症がはいり施設でお世話になっている。
今思えば、もっと、いろいろ話しが聞きたかった。

大学で鹿児島に行ったので『特攻隊』を知るきっかけとなった。
知覧にも行き、隊員が家族に残した最後の手紙の文章表現には驚き、年齢もさほど変わらない大人びた文章に「俺って まだまだガキだな・・・」って思わされた。

そして紆余曲折を経て わたしは就職はせずに、役者になっていた。
沖縄でたくさんの舞台に立たせて頂き、その中には沖縄戦の話も いくつかあり、沖縄戦を知るため本を読み、映画やドラマを役作りのために観ていた。すると、あることに気が付く、それは沖縄では日本兵が悪でアメリカ兵が優しかったという表現の多さ・・・だった。

たしかに、証言にあるように 日本兵は一般人を巻き込んでおきながら手榴弾を渡し自決しろとか狂気でしかない。壕で隠れている民間人を追い出し『鉄の暴風雨』にさらすとか国際的にも非人道的であり、泣いている赤子を アメリカ兵に見つかるから殺せと母親に強要し「殺せないなら俺が殺す!」と銃剣を突きつける。

もはや、日本兵は殺人鬼であり沖縄の人々は日本兵に苦しめられたという沖縄戦の描かれ方、ここまで読んで 気分を害される方がいたり、誤解を生んでしまうような表現を自分はしているかも知れない。まだまだ勉強不足ですが これが演劇をやって気づいたことで、そこから感じたことが疑問へとつながっていったのだ。

経験者であれば それが事実であり、恐怖の体験だったことだろう。食糧を与え、水を与え、子ども達にチョコを配ったアメリカ人は優しかったでしょう。 ところが、その『鉄の暴風雨』を降らせたのは優しかったアメリカ人であり、戦後 土地を強制接収し そこに住む沖縄人を追い出したのもアメリカ人。そして、地位協定の名のもと 犯罪を犯しても罰することが出来ないのがアメリカ人だ。

表現の世界で描かれる「沖縄戦」、戦争で日本人に苦しめられ、戦後はアメリカ人に苦しめられる悲劇の沖縄。でも、悲劇を演じられるのは沖縄だけだろうか?

日本を他国から守るため たった一枚の赤紙が届いたことで兵隊となり、命を落とした日本兵は?

自らの命と引き替えに特攻機に乗り込み 沖縄近海で撃墜された隊員は?

真珠湾で仲間を失い日本と戦うことを決意したアメリカ人は?

祖国の為と 恋人を残し戦場に立った兵士や帰りをずっと待ち続けるアメリカの家族は?

皆それぞれに愛する家族や恋人がいて 平和な未来を夢見ながら自分の国を守るため 争うことでしか解決できない時代を生き、遠く離れた この小さな島国 『沖縄』 にやって来て 何十万人もの人々が命を落としていった。太平洋戦争の時代を生きた全ての人が悲劇だったのではないだろうか。

話しを戻すと この疑問符は簡単であり難しく、解決できそうで解決できず 話せばわかるのレベルではなく
人種を越え 人としての世界観になり、戦争が人を変え 簡単に人を殺せる世の中が価値観をも変化させてしまう。 とりあえず、答えは 『戦争をしてはダメ』 の一言にいき着いた。

沖縄の言葉で言う 『命どぅ宝』、世界中の一人一人の人間が価値のあるものだと認識すれば 未来は明るいモノになるのかも、ところが人は争うことを止めることが出来ないでいる。

疑問への解決の糸口として 『戦争をしてはダメ』 という『信念』を持つこと! 漠然としたかたちでだが なんとなく落としどころをみつけていた。

そんなとき浦添市を拠点に活動する団体 『ゆいゆいキッズシアター』 と出会う。そこでは小学生から高校生までのメンバーが ミュージカルという手法を使い 『君とつなげる虹色』 という平和劇を長きに渡り上演していた。

印象としては、年齢や学校の違う子ども達が 歌やダンスやお芝居を通して コミュニケーション能力を身につけられ、講師もその道の方々がそろえられて稽古場や発表会の会場もプロや父兄の手によって整えられ、
万全のサポートで表現の場が与えられている凄く羨ましい場所に思えていた。

一方で、自分をアピールする場所であり、自分が輝ける場所であり、自分の居場所の為にあるようなこの場所が、目立ちたい子たちの集まりにしかみえなかった。平和劇を語り 戦争の悲劇を表現し、大切な人と人 家族をつなぐ愛の物語を表現していい場所とは 到底思えなかった。

なので創設者の町田宗正さん(故)から演技指導の依頼を受けるたび、何度も葛藤があったし、個人でも何回か話し合いもした。そのたびに町田さんは 「好きなようにガンガンやってください」 「本気でぶつかってください」 と、言って最後は 「大丈夫です 裏方はこっちで整えるので表方はお任せします」 「すごい舞台を創りましょう」 で、毎回 打ち合わせは終わり解散した。

もう彼に確認することは出来ないが、彼は、子ども達の為に 勝手に何かの目標を設定していて 自分の判断で 自分の理想にむかい たくさんの人を巻き込みながら そこに突っ走っていた人だったと思う。
その未来予想図は何だったのだろう?

そして、去年の頭から本格的に 『ゆいゆいキッズシアター』 に関わることになった。どんな答えが出るかはわからないけれど、彼の言葉通りに、この子たちと本気で向き合い 自分なりに未来予想図の答えを見つけてみようと思った。そして、「これまで自分が培ってきたものをぶつけてみよう!」 そのために 失礼ながら長年上演されてきた作品のイメージを ぶち壊して新たに創るのだと決心した。

そこで誕生したのが 『Peaceful~君とつなげる虹色~』 なのである。 只、創設に関わった人達の想いは大切に残したいと思い 卒業生の想いをつなげる為に、原案としてキャラクターは残し、先輩たちが作り残した歌の歌詞を物語に繁栄させていった。


子ども達には事前に平和学習の場をもうけ演じる子には毎回 問いかけ 飾ることなく等身大で表現するよう心がけさせた。
時には怒鳴り 、声をかけ励まし 楽しい時間は共にふざけながら、大人も巻き込んで ひとつの作品を みんなで創りあげていった。

もの凄い熱量と集中力が必要な作品となって行ったのだ。それを支える大人たちにも刺激となっていた。それを引き出してくれたのは、大人の舞台と比べても引けをとらないところまで 能力を発揮してくれた子ども達だった。

ゆいゆいキッズシアターとの関わりが浅い自分は、この作品を通して創設者の未来予想図が少しだけ見えたような気がしてきた。打ち合わせで何度も聞いていた言葉達が つながりはじめて来たのだ。
説明を求められると 適切な言葉で表現するには難しいレベルなのだが、これまで舞台に関わり 子ども達を見てきた感覚として、そこへと導く方程式の様なものが見えはじめて来たという感覚なのだ。

そして去年の公演から約1年
今年は浦添市長より直接の依頼を受け
2018年6月23日(土)
『浦添平和発信事業 ~うらそえ平和演劇会~』にて
『Peaceful~君とつなげる虹色~』の上演が
てだこホール 大ホールで決定した。


小ホールでは インへリット沖縄による大人の舞台 『永遠の一秒』 が上演される。
この作品は沖縄に特攻機で出撃する特攻隊のお話しで 『ゆいゆいキッズシアター』 の卒業生も出演する。

是非 この期間に浦添市から発信される平和演劇会に足をお運びいただき、言葉では言い表せない子ども達が表現する想いを受け止めにきて欲しい。そして、6月23日が何の日なのか 沖縄で何があったのかを語り継いで戴きたい。

最後に 『Peaceful~君とつなげる虹色~』 は平和を前面に打ち出す平和劇として創ることは出来なかった。それは、今を生きる人々 今の浦添市に住む人々に問いかける作品になればと創作したからだ。
答えは観た人 それぞれの中に いくつも存在することであろう。
観劇をご予定のお客様 シーンのラスト、主人公の 『吉田さくら』 と妖精 『ウージー』 の出会いまでの場面を浦添の風景を想像しながらお楽しみ戴きたい。

この機会を与えてくれた松本市長
それを支える関係者の皆様
投稿を依頼してくれたビジネスモールうらそえ様らに
ありがとうございますと伝えたい。

 

浦添市平和発信事業
~うらそえ平和演劇会~
『Peaceful~君とつなげる虹色~』

【あらすじ】
浦添市を拠点に活動している『浦添ゆいゆいキッズシアター』
そのメンバーである 吉田さくらは
北海道からきたばかりの転校生
吉長レイナは しっかり者のグループリーダーで
千秋は お調子者のムードメーカー
平和学習の為 とあるイベントに参加したメンバーが
言うことを聞かない後輩達に手を焼いていると
移動式図書館バスの職員コーンさんから
「ウラムンに会ったことがあるんだ!」
と、妖精の存在を聞かされる・・・

現在から過去へ そして過去から現在へ
さくら レイナ 千秋の意外な共通点が繋がった時
3人は沖縄で起こった出来事を知ることとなる
あの頃の約束は時を越え 世代を超え
果たす事が出来るのか

戦後73年
あの頃を必死に生き抜いた人々は年老い
焼け野原の大地から 必死に生き抜いた自然はまた
人々の手によって破壊されていく

【日時】
2018年6月23日(土)
Open:17時30分
Start:18時30分

【場所】
浦添市てだこホール 大ホール

【チケット】
大人:999円
高校生以下:500円
(当日500円増し)

【プレイガイド】
てだこホール
浦添市役所地下売店

【お問い合わせ】
浦添ゆいゆいキッズシアター
浦添市牧港3-40-6 浦添市中央公民館分館内
TEL兼FAX : 098-879-7460
メール :yuiyuikids@gmail.com

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