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「尚寧王展」魅力と見どころポイントを解説!大好評 11/15日迄 お見逃しなく!
「ビジネス・モールうらそえ」をご覧頂いています皆様へ 当サイトでは、浦添市美術館で現在開催中であります没後400年「尚寧王展」企画展を取材しましたので、その魅力と見どころをご紹介いたします!
今回の「尚寧王展」は、浦添市制50周年記念の企画展として開催されています!
浦添市教育委員会 文化財課の総力を挙げて企画展を開催しており、当サイトが取材して参りましたが展示内容はとても素晴らしい内容となっています!
お得なのは、本来は2,000円程度の観覧料が、今回はなんと高校生までは無料!そして大学生は150円・大人200円と記念企画展なので来場者の皆様へ無料に近い観覧料になっております!
しかし、期間はあとわずか、2020年11月15日迄となっております。皆様もったいないのでお見逃しのないように!没後400年の企画展ですから、次回は50年後か、100年後かも知れません。
では早速、取材で感じた「尚寧王展」の魅力と見どころをご案内いたします。
尚寧王イラスト |
展示会場で迎えてくれるのはイラストの尚寧王です!彼は、「浦添ようどれ尚寧王陵」を紹介するビデオキャラクターとして起用された尚寧王のマスコット!VTR視聴コーナーでお会いできます!(ちなみに、彼の声は浦添出身タレントの「かでかるさとし」さんが演じています!最後に映像もお楽しみください!)
まず、今回の「尚寧王展」の魅力の一つには、没後400年経った「尚寧王」の生涯を歴史資料を交えながら観覧者の興味を引く逸話が「茶飲み話」として面白いエピソード風に解説されています。
浦添尚家系図 |
そういう演出が、歴史に あまり興味が無くても 展示資料を見ながら400~500年前の史実を尚家首里派と、尚家浦添派王家の人々が時期国王のあととりを巡っての人間模様をヒューマン(人情)ドラマが有ったんだろうと想像させてくれるのです。
物語をあらわすイラストの挿絵 |
また、子ども達にも分かりやすい様にイラストの挿絵を添えて展示されているので より史実の固いイメージのハードルが下がって入ってくるため、難なくイメージ出来るのです。
見どころ①
浦添~首里間の道の整備に関する展示資料
(浦添城の前の碑が展示されています。拓本があり、分かりやすく説明書きが展示されています。また、整備工事に関する「茶飲み話」もあり楽しめます。
見どころ②
浦添尚家の人々等の「茶飲み話」が11話ほどある
そのエピソードは 知識欲が湧く喜びを感じさせます。
見どころ③
島津義久からの様々な圧力~薩摩侵攻~家康との対面
最近の歴史研究から、信長~秀吉~家康の時代が、これまでの戦国時代を国外から見た新しい捉え方として見る方向に変わりつつあります。琉球国への薩摩侵攻も 新しい角度で見ると 琉球国王尚寧は、こういう厳しい時代に国を滅ぼさず、よく立ち回ったという見方ができます。面白いかも知れません。
琉球国王尚寧は、薩摩侵攻に至るまでに島津義久を通しての度重なる秀吉の明朝派兵の要求や、入貢等の理不尽な圧力に対し、巧みに撥ね退けています。展示資料を観ると、悩んだであろう尚寧王の対処には、ハラハラさせられます。
しかし、最近になって この戦国時代に、豊臣秀吉の明征服という目的が、実は薩摩藩のような超スーパー大名や、キリシタン大名らの戦力を削ぐために敢て出兵させ、力ある大名の国力を疲弊させることだった、ということが分かって来ました。
さらに、徳川幕府時代になると戦乱が治まり世が平定されてしまいます。国内にいた勇猛果敢な武士たちは、戦がないため活躍する場所を失い欲求不満になって行きます。ところがオランダの商人が家康から許可をもらい浪人武士たちを傭兵として雇い、イギリス/フランス/スペイン領のアジア植民地を奪うために日本の武士たちは最強の傭兵として大活躍していたことが分かって来ました。
尚寧王は、この様な世界的動乱時代の琉球国王だったのです。薩摩侵攻は当時、百戦練磨であった薩摩軍の武士たちにとっての不満のはけ口にもなるとして琉球への進攻を利用したのかもしれません。最近になって、外国(列強国)から見た日本の武士たちの戦力の強さと国外での活躍ぶりが明らかになって来ました。
ちょうど、尚寧王はこの世界規模で起こった戦乱の世の武力紛争に巻き込まれながらも、我慢して国を滅ぼさずに毅然と徳川幕府に向き合った、たくましき琉球国王であったとも言えるのではないでしょうか。
尚寧王は、歴史に残る浦添ー首里間の道を整備する大公共工事も成し遂げて行くのですが、とうとう1609年の薩摩侵攻に遭い、連行され、辛い苦しみにさいなまれながら、しかし堂々と乗り越えて行く姿が資料展示で見事に表現されています。
薩摩侵攻の進軍経路マップ |
薩摩の浦添城 焼き討ちのイメージイラスト |
薩摩侵攻後
尚寧王は、薩摩に約2年半にわたる捕らわれの身となり、その後、大御所 徳川家康や、時の将軍 徳川家久に面会するため数百名のご家来とともに薩摩から江戸へ向け旅をするが、道中に頼りにしていた尚寧の弟、尚宏を亡くすなどの苦難に遭っている足跡が伺えます。
面会のため薩摩から江戸へ向かった経路図 |
しかし、幕府側の記録書には尚寧王が大御所家康や、将軍家久に堂々と対面していたことが残されており、琉球国王としての威厳を失わなかったのだと歴史資料は語っているのです。
見どころ④
帰国後の尚寧王~没56歳で浦添ようどれ王陵に眠る~
尚寧王陵の復元された白石厨子たち
病で死期を悟った尚寧が浦添ようどれを改修し、一族の墓を移築して自らも浦添ようどれに眠った。
今回の「尚寧王展」で最大の注目展示品となっている尚寧王一族の白石厨子ですが、先の太平洋戦争で破壊されてしまい 粉々になった石厨子の破片を慎重に吟味し、丁寧に繋ぎ合わせて見事に復元された白石厨子が誰のものなのかも推定し、貴重な文化財として展示されています。
先の大戦で破壊され、粉々となった尚寧王一族の白石厨子 |
粉々になった石厨子が見事なまでに繋ぎ合わされ復元されている現物を見ると復元技術に感動します。
浦添市の貴重な文化財が蘇った訳です。市教育委員会 文化財課の皆さんが浦添市の貴重な文化財産をまた作りだしてくれました。ご苦労様です。
復元された石厨子には後に葬られたアオリヤエ王妃の石棺もあり、王妃の石厨子に掛かっていたであろう木札の展示もされています。「茶飲み話」ではアオリアエ王妃の物語が語られています。
見どころ⑤
浦添ようどれ王陵の東室(尚寧王陵)と 西室(英祖王陵)の見事な模型
この模型は、模型製作の専門業者にお願いしたのではなく、浦添市教育委員会 文化財課の職員の方々が下の模型を作成されたそうです!なんという完成度でしょうか、驚きました。
予算がなかったので自分たちで作りました。ということですが、見事な出来栄えです。模型製作で食べていける職員がいらっしゃるのは業者泣かせ、いいえ、素晴らしいこだと思います。
しかし、上手にイラストも描けて、文化財の模型も作れる職員の方がいらっしゃると展示会に素晴らしい演出が出来ますね!
左 尚寧王陵(東室) 右側 英祖王陵(西室) |
左 尚寧王陵(東室) |
左 尚寧王陵(東室) |
手前 英祖王陵(西室) 奥側 尚寧王陵(東室) |
皆さま 以上が、今回の没後400年「尚寧王展」を「ビジネス・モールうらそえ」が取材して、感じました魅力と、見どころのポイントです!いかがでしたでしょうか!
「浦添から照り上がった尚寧王」がいたことを浦添の子ども達に伝えて、刺激を与えると今後、浦添市民から県知事いや、日本国総理大臣が照り上がるかも知れません。
子ども達を連れて是非!展示会にお出かけ下さい!2020年11月15日迄の開催ですので見逃さない様にお願い致します。
展示会場には浦添ようどれ王陵と、尚寧王について紹介しているVTR映像鑑賞コーナーもあります。
最後にお楽しみください。
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