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ありがとうの言葉 内田 篤(浦添市教育委員会) ビジネス・モール うらそえ 開設満10周年記念特別企画『投稿エッセイ』「“ありがとう”と伝えたい」

内田 篤 (うちだ あつし)
浦添市教育委員会 学校教育課 指導主事(生徒指導・学校安全担当)

プロフィール
1966年東京に生まれる、沖縄婿となり
現在、妻・子2男2女の6名家族
平成元年3月東京水産大学水産学部
漁業生産学科 卒業
平成2年採用 石垣市立伊原間中学校
・浦添市立港川中学校・石田中学校
・城北中学校若夏分校・石嶺中学校
・那覇市教育委員会
リーダー育成・不登校・非行等や問題を抱える
生徒への対応等で13年間取り組む
平成23年城北中学校若夏分校(教頭)
平成25年浦添中学校(教頭)
平成27年浦添市教育委員会学校教育課(現在)

 

私には人生の喜びと悲しみを共に分かち合ってきた素晴らしい家族がいる。妻にはもちろんだが、親として成長させてくれた4人の子ども達への感謝の思いを綴ってみた。

何年位前のことだっただろうか、二番目の子で今は19歳になる長男の障がいがはっきりした時には、何となくほっとしたのを今でも覚えている。それまでは、発語がなかったり、多動でずっと動き回っていたり、原因が分かるまでは関わり方も見通しがつかなくて不安だった。もちろん、「精神遅滞」や「自閉症」と診断名がはっきりしても適切な対応と言えるレベルのことが親として十分にできていなかったことを今さらながら思っている。振り返えると失敗ばかりが頭をよぎってしまうが、様々な経験の中で、この子が教えてくれたことが今の自分の生き方の中で大きな財産になっていることを実感することが度々ある。

息子(長男)の成長
4歳くらいのころ、発語がほとんどなかったこの子に物を要求することを教えたくて、相談して「水ください。」という言葉を意識して教え、やっと自分のものにした頃、もちろん、それ以外の言葉は、ほとんど理解不能であったのだが、父親である自分の手を引いて玄関まで引っ張っていき、2つの小さな目で、じっと見上げながら、「さんぽください。」と彼は言った。初めて、自分の意志を自分なりに言葉を組み合わせて、不器用ながら伝えてくれたのである。可愛くいとおしくて今でもその時の嬉しい気持ちは忘れられない。

そのころ色々な物に興味を持っていた彼は、「扇風機」、「信号機」、「ボイラーの煙突」、「ブランコ」などを求めて街の中を歩きたがった。散歩を始めたばかりのころは、乾いたドブの中や縁石の上をこだわって歩きたがったり、興味優先で車道に飛び出そうとしたり、手をつないでいてもハラハラのし通しだった。それでも信号の渡り方を教え、車道に出てはいけないことを伝え、いつしか手を放して散歩ができるようになり、この子なりの成長が感じられた。

小学生のころの散歩では、時計を気にするあまりよそ見をして、門柱の出っ張ったブロックで頭を強打して痛さのあまり気絶したり、大好きな信号機を振り返りながら歩いて大きなはんこ屋の看板に正面衝突してひっくり返ったりしたこともある。また、あるときは、三差路に差し掛かると苦手な犬が三方向、つまり全ての方向からそれぞれ繋がれたロープに引かれながら飼い主ともども近づいてくるではないか。この逃げ場のない局面で彼のとった行動には驚かされた。何と一瞬で身長のあまり変わらない父親である自分に登り、肩車の姿勢をとったのである。そして、近づいてくる犬たちをやり過ごし、するりと飛び降り何事もなかったかのように散歩を再開させたのであった。

散歩を通して、徐々にコースを考えさせたり、時間までに家に戻る練習をさせたりもした。小学生を卒業するころには、一緒に歩いていて、この子の頭の中にしっかりとした地図が描かれていることを実感することができるようになっていた。

姉弟妹の我慢
ただ、現在は思春期を迎え、家を飛び出したり等の行為は、あまりないもののパニックに陥ったときの強烈な自傷行為や家族へ対する暴力をいまだに止めるのが難しく、感情コントロールができない状況である。親が振り回されているだけでなく、4人兄弟の一番上である姉の長女と下の次男、次女の弟妹に我慢を強いる場面が多くあり本当に苦労を掛けている。自閉症の困難な特徴として、フラッシュバックが強く、言葉が通じにくいだけでなく、どんなきっかけでパニックになっているのかわからないことが多いため言いたいことも言えず兄弟らしい関わりがあまりできていない。片方の親だけが家に残り長男を見守り、後の4人を家から避難させたことも一度ばかりではない。こんなにいびつで我慢を強いる家庭環境に子どもたちは大いに不満であろうと思う。

それでも思い出すのは長女のリーダーシップと優しさである。5年生のころだったか、バランスボールを1つ買った時のことだったと思う。ボールをめぐって兄弟喧嘩が続いた際に、自分は「ケンカの原因になるなら取り上げる。」と言った。これを聞いた長女は兄弟に声をかけ仲良く使うためのルールを作ろうと「第1回こども会議」を提案していた。残念ながらルールが理解できない長男はもちろん4歳と2歳の弟妹が協調できる訳もなく成立しなかったが、企画自体は素晴らしいし、また、ほほえましく感じていた。

年末が近づいたそんなある日、5年生の長女が、お手伝いをして貯めたお小遣いを全て欲しいと母親にせがんでいた。その総額は390円、買い物には行きたい時には連れて行くから一人で勝手にコンビニに行ったりしないように注意をしてお小遣いを渡した。翌日、学童と保育園へのお迎えの前に家によると長女が家を出る所と出くわした。どこに行くのか訪ねると「コンビニに行く。」と泣きながら「今、一人で行く。」と言って譲らない。叱りながら説得をして一緒に車に乗せ、お迎えの帰りにコンビニに寄って買い物をさせた。「全部、遣っちゃた。」とあっけらかんという長女に、さっきまでの少し反抗的な涙顔とのギャップを感じた。夜になって子どもたちが寝た後、妻が近寄ってきてこう言った。「お父さん、あれうそだよ。」昼間の長女の言葉はうそだった。

枕元にお菓子に添えて、こんな内容の手紙が置いてあった。

「お父さん、お母さんへ いつもありがとう。小さい弟や妹はまだわからないと思うので、今日は代表してお父さんとお母さんへクリスマスプレゼントをおくります。」

感動して私と妻はその夜 涙があふれてとまりませんでした。

歳月を振り返りながら、自分の子どもたちとのことを思い起こしてみる。ともに暮らす4名の子どもが狭い我が家で同じ時間を過ごしているが4名とも年齢はもちろん、個性も大きく異なる。この子どもたちのおかげで親として悩んだり、笑ったり、泣いたり、喜んだりと心も忙しい時間と濃い人生を歩ませてもらっている。思い通りにいかないことも多い、苦しい時も沢山ある。それでも、自分に、この子たちがくれた、まぶしい想い出には、「ありがとうの言葉」しか見つからない。

 

 


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