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~”ありがとう”と伝えたい~ 下地 節於(浦添市 企画部長) ビジネス・モール うらそえ 開設満10周年記念特別企画『投稿エッセイ』「“ありがとう”と伝えたい」

下地 節於 (しもじ せつお)
(浦添市 企画部長)

1959年宮古島市下地字上地出身
大分工業大学航空工学科、琉球大学短期大学部法経学科卒業
土木設計コンサルタント勤務を経て浦添市都市開発部区画整理課に就職
都市建設部参事、都市建設部長、総務部長を経て2014年企画部長を拝命

人間の究極の幸せは人に愛されること、人にほめられること、人の役にたつこと、そして、人から必要とされることの四つだと言われる。そして、四つの言葉に通底するのは“ありがとう”の感謝の言葉ではないだろうか。

この“ありがとう”の声掛けこそは私たちの日常生活の中で一番身近な感謝の言葉の一つであり、相手の存在と価値を認め合うことのでき、お互いが気持ち良い関係になることができる。魔法のような言葉であると思う。だからこそ、いつでも「ありがとう」と素直に言えるようになりたい。

私が“ありがとう”を伝えたいのは、これまでの多くの出会い、同じ数だけの気づきを与えて頂き、成長するきっかけとなった方々であり、その出会いの一つ一つに心からのありがとうと伝えたい。

だからこそ、すぐにでも書けそうな今回のテーマ「“ありがとう”と伝えたい」であったが、本稿の書き出しまでに随分と時間を要した。

突然、私事で恐縮だが、父は今年88歳・米寿を迎える。現在、要介護2の認定を受け週三回ディサービスに通う。母は84歳。数年前と比べると回数は減ったが、今でも日傘を杖代わりに週1,2回は運動公園内のまじゅんらんどに通う。

こうして紹介すると特に問題のないごく普通の両親に見えるが、父は数年前から認知症予防と血液サラサラの薬の処方を受け、毎日服用することで日常生活の質を担保している。母も服用する薬こそ違うものの、処方された薬を毎日欠かさずに服用する。

そんな両親を真正面から素直に“受け止めている”自分と、真正面から“受け入れられない”自分がいる。なぜ、ありのままの“今”を受け入れることをためらうのか・・・

両親は宮古島で生まれ育ち家族を築いた。40過ぎまでサトウキビと野菜栽培の農業一本で子ども三人を育ててきた。

私には幼いころ父と朝食を食卓で囲んだ記憶がほとんどない。

私が目を覚ますころには既に家畜の世話をしていたし、登校する頃には畑に行っていなかった。一方、母は子ども三人を学校に送り出し、父の朝食の弁当を準備して畑に行き、父が収穫した野菜を毎日のように、当時では珍しく貨物車を運転して平良市内の市場やお店に行商をして生計を立てるそんな毎日であった。

しかし、昭和46年、本土復帰を目前に控えたこの年、宮古島は未曾有の大干ばつに見舞われ、島の農業は壊滅的な打撃を受ける。干ばつを経験した父は、水無し農業の限界と将来を考え那覇への引っ越しを決断。私たちは復帰の翌年、那覇に引っ越すことになる。

長年、鍬と鎌を手に母と共に家計を支えてきた農業から一転、40を過ぎて金づちとノコギリを手に父は大工へと転身するが、左手5本の指先の爪は釘を打ちつけるはずの金づちで強打したことで年中真っ黒になっているときが多かった。

また、天候が悪く、現場が休みの時には当時はやった軽貨物を運転して生活を支え、母も同様に丈夫な体を糧にそれこそ必死に働いていた。

当時中学生だった夏のある朝、現場に向かう準備を終えた父が勝手口に座り、遠くを見つめたり、下を向いたりしていたあの後ろ姿が未だ脳裏に焼き付いて離れない。

慣れない仕事と夏場の肉体労働は毎日が大変だったに違いないが、休むこともなく家族のために働いていたあの頃の父の姿と、老いた今の姿を同一視することができない。

あの時父は遠くを見つめながら何を思っていたのであろうか。そう思うだけで胸が熱くなる。そこには、父の今を真正面から受け止めるものの、真正面から受け入れることをためらう58歳の自分がいる。

「子ども叱るな来た道じゃ年寄り笑うな行く道じゃ」とはよく耳にしてきた言葉である。また、「60代は年老い、70代は月老い、80代からは日老い」と言われる。今、まさにこれらの言葉の一つ一つが身に染みる。

先月末、仕事中に母から携帯の呼び出しかあった。父の様子がおかしいとのこと。急いで帰ると庭先で必死に体を起こそうともがいている父がいた。声を荒げながら家の中に引きずり込み、病院へと向かった。熱中症で入院した。

事なきを得たものの、引きずられているときの父の顔の表情を思い出すとき、介護の現場では、向き合う事、話しかける事、触れる事が大切だ。と頭では理解していても、あの時に真逆の対応をした自分を反省し、ベッドで点滴を受ける父と、そのそばで父を見つめる丸くなった母の背中を見る時、いつしか自然と涙が流れる自分がいた。

アララガマ精神の根性で必死に生き、私たちを育ててきた老いた両親を病室で見た時には強く胸に迫りくるものを感じた。

老いながらも毎日のようにヒヌ神に手を合わせ、家族の健康を祈る母と、ボケまいとして一生懸命に庭の掃除を欠かさない父、そんな両親の老いを認めたくない自分がいた。

とは言え、老いは確実にやってくる。だからこそ、今、この場を借り改めて年老いた両親に真正面から真っすぐにありがとうを伝えたい。おとう!母ちゃん!タンディガータンディ。

また、多くの出会いにより成長するきっかけを与え、失敗の数だけの気づきを与えてくれた皆様に改めて感謝を込め、ありがとうございます。

 

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