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~いくつかの感謝を胸に人に勇気を与えたい~ 比嘉 明(比嘉眼科病院 院長 医学博士) ビジネス・モール うらそえ 開設満10周年記念特別企画『投稿エッセイ』「“ありがとう”と伝えたい」

比嘉 明 (ひが あきら)
(比嘉眼科病院 院長 医学博士)

1969年 徳島県生まれ
1996年 昭和大学医学部卒業 同大学眼科入局
2000年 フロリダ大学 留学
2013年 比嘉眼科病院 院長 現在にいたる
URL:http://www.higaganka.jp/

ビジネス・モールうらそえ 開設11年目 おめでとうございます。

浦添城間で比嘉眼科病院の院長をしている比嘉明です。自分の回顧録を通して感謝について述べたいと思います。

3歳頃徳島にいる時、私の母親は、病気がちで、入院したりしていて、よく親戚に預かってもらっていた。日和佐という田舎町でおじさんは、釣り具屋を営んでおり、朝早くよりお客さんが来店する。海が近くにあり、その浜にウミガメが産卵に来ることで有名な土地で、その浜でタコを釣ったことが懐かしい。NHKの連続ドラマの舞台にもなった。子供がいなかったので、私は、とても大事にして頂いた記憶がある。今は、夫婦とも天国におられるがいつも感謝している。

私は4歳の時、左耳の慢性中耳炎を発症した。耳漏が続いていたため、常に左耳をこすったり、ほじくったり、触ったりしていた。

当時川崎に住んでおり父親の職場の病院で精査を受け真珠腫であることが判明。手術して摘出しても左耳が全く聞こえなくなるという話であった。縁あってドイツのベルリン大学の教授が来日する時に手術を受けることができた。耳小骨を移植して聴覚を温存するという当時として難易度の高い手術。あとで聞いた話だと真珠腫は頭蓋骨を溶かして浸潤するため、もう少し遅れていたら髄膜炎を発症し、命の危険にさらされるところであった。

治療が成功したことは、人生のなかで大きな一つ目の感謝である。

手術が終わった後も入退院を繰り返し普通に遊んだりプールや海に入ったりできないことが多かった。耳充てをして外出すると子供から指でさされることもよくあった。いつの間にかコンプレックス感を抱えていたと思う。僕は普通の子供ではないという劣等感で充満していた。小学校1年位まで、学校でも目立たず、自然と団体行動を嫌っていた。

転機は、沖縄への引っ越しであった。内地から来たといじめに会うかと思いきや、何故か温かく迎えられた。名護小学校の同級生の男の子はみんな丸坊主であった。長髪の転校生は、珍しがられ、優しくされすぐに友達ができた。小学校4年の時学校の担任の命令で丸坊主になったがそれが最初で最後だった。子供ながらに、沖縄にある文化は違うとすぐわかった。今となっては、この不思議な文化に2つ目の感謝である。劣等感は完全に消え、勉強にも興味を持てるようになり、中学受験をして東京の学校に進学した。それ以後26年間沖縄より離れる。

寮生活が始まった。この寮生活は、中学1年から高校3年まで約200名が同じ寮で生活するという環境で、一つの小さな社会の縮図みたいなところであった。喧嘩したり、盗難にあったり、いじめにあうことも、逆にいじめに加わることも必然的にあったが、怨嫉的な事は無く。意外とドライな人間関係を築くことができた。高校3年間は、勉強に追われ寮生活を満喫することはできなかったが、自己研鑽する貴重な体験をした。一人っ子であった自分にとってこの寮生活はとても価値あるものであり、財産である。

高校3年の時に父と同じ医者を志し大学受験に挑戦したが、力不足のため2年浪人することとなる。この浪人生活がとても厳しく、受験戦争といわれる現実を思い知らされた。まず、資格試験でないため、合格するまで何年かかるか先が見えない。定員があるため他人より、1点でも多く点を取ったものが勝つ。要は人を蹴落として自分がのし上がる弱肉強食の世界である。ほかの人が不合格で泣いている横で、合格を勝ち取った人間が笑っている状況。酷に記述したかもしれないが実際自分にはそう映った。初めての挫折感を経験し、自分に自信が持てなくなり、自分の存在意義を社会から失いかけていた。学生でも無く、仕事のある社会人でもない、バイトなんかする時間あったら勉強しろという存在である。今までの人生のなかでのどん底の精神状態であった。

その時人生の師匠と仰ぐ人より大激励を受け、立ち直ることができた。合格も勝ち取れた。

3つ目の感謝の出来事である。

医師になり、結婚して2000年にフロリダ大学に留学する機会があった。目的は臨床経験ではなく基礎研究であった。1年4か月の短い期間であったが、現地で子供が生まれ 勉学、研究というよりも、長い新婚旅行のようであった。貴重な経験がありがたい。そのおかげで、比嘉眼科に英語しかしゃべれない患者がきても、対応できるし、何人か手術もした。

今となっては、自分が患者であったから患者さんの気持ちをより汲み取ることができる医師として成長できたと自負できる。病気になったことに感謝できる自分になれた。

人生のどん底を味わうことができたことは、次への飛躍のバネになる。その後もいろいろ苦難はあったが、あの経験に比べたら屁でもないという思いが、常によみがえるので、大丈夫だと確信が持てる。

患者に勇気を与えることができる医師になるために常に、ここでしか治療できない最先端、最新の医療を研鑽している。自分が素晴らしい手術を受けられた恩返しに、素晴らしい治療、手術を提供していきたい。

【浦添の元気企業】「あなたの眼は健康ですか?」 ~比嘉眼科病院~>>

 

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