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~長男はシンシー(先生)~ かでかるさとし(うちな~むんタレント) ビジネス・モール うらそえ 開設満10周年記念特別企画『投稿エッセイ』「“ありがとう”と伝えたい」

かでかるさとし
(うちな~むんタレント)

1963年 浦添生まれ
相方 仲里幸広とのコンビ「ニーニーズ」で90年代前半に沖縄中を笑いで席巻。1994年活動の場を東京に移し芸能活動を開始、「タモリのボキャブラ天国」や「天才たけしの元気がでるTV」等の人気番組に多数出演。
2000年より沖縄を拠点にソロ活動開始、RBCiラジオ「かでかるさとしのチムどんぱぁく」は2008年日本民間放送連盟九州ラジオ生ワイド部門最優秀賞、2009年ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞を受賞。
現在、TV、ラジオ、舞台出演、イベント、ニービチ等の司会、ライブ音楽活動でも活躍。
  RBCiラジオ かでかるさとしの 「なんくるラジオ」 月曜夜9時~11時   (かでかるさとしのホームページ)
http://www.ok.au-hikari.ne.jp/kadeco/

いい正月で~びる!平成30年 明けましておめでとうございます。 ハイサイ!生まれも 育ちも 浦添、産婆さんにとりあげられた、 沖縄1の沖縄ファン、うちな~むん タレント かでかるさとし~んでぃ いちょ~いび~ん!ゆたさるぐとぅ 御願~さびら!そして「 ビジネスモールうらそえ 」11周年でのサイトの全面リニューアル(祝)誠におめでとうございます。浦添や沖縄に対する熱い思いが詰まった貴サイトを観るのが毎回楽しみです。

さて、「ありがとうと伝えたい」という今回のテーマを聞いたときには、子供の頃から現在までの人生の来し方を振り返り、両親や兄弟、人生の師匠、友人、芸能界で関わった人達と、本当にたくさんの方々から叱咤激励をうけ、お世話になったのだと、改めて感謝の気持ちがあふれてきました。
そのシチシチ(節、節)で誰一人かけても、今の僕は存在しないと思っています。とはいえ、まだまだ 「人生サラバンジ!(真最中)」の僕。今回のテーマでは1番身近な家族のことについて話をさせて頂きたいと思います。

僕の家族は、妻、長女(大学生)長男(20歳)次女(高校生)の5人です。上の二人の子は僕がニーニーズとして東京で活動しているときに授かり(居住地は横浜)、末っ子は沖縄に拠点を移した後に授かりました。ですから上の二人は横浜産、末っ子は沖縄産という事になります。物産展みたいですけど(笑) 子育てと言っても僕はお仏壇に手を合わせるときに「勇気のある優しい子に」と祈る事くらいしかしていませんが、子ども達はとても素直に育ってくれています(妻のおかげです)子どもが小さかった頃をお思い返すと、電車に乗って渋谷へ出かけたり、初めて見る雪に喜んでアパートの駐車場で小さなかまくらを作って遊んだり、近所の人達に誕生会を開いて貰ったり、熱性けいれんをおこして救急車をよんだりと親として青葉マークの頃の必死な感覚が蘇ってきます。ここでもお世話になった方々の顔が浮かんできます。今ではもう、だらだらと、いやいや今もなお必死ですよ(笑)

子育ても落ち着き始めたある時、長男の一歳半健診から帰った妻が言いました「自閉症の疑いがあるんだって、、」不安そうな妻に、当時自閉症の知識をほとんど持ち合わせていなかった僕は軽い気持ちで、「でも治るんでしょ?大丈夫だよね」としか言えませんでした。妻は結婚する前に知的障がい者の入所施設で働いた経験があるため、自閉症などの障がいに対する知識もありましたが我が子に下された診断結果に動揺し、どのように家へ帰ったかもあまり覚えていないとの事でした。僕も妻に自閉症のことをきいたり、いろいろ調べていくと「簡単なことではない」という事が解ってきました。

その頃、仕事である「ニーニーズ」の解散をうけ、沖縄に帰ることを決めました。沖縄の医療機関での2歳健診で長男は「自閉症」と認定されました。さらに知的障害も併せ持っている、とのことで「療育によって発達も期待できますが、生涯に於いて根治はしません」という診断結果でした。「一生治らない?」診断が下されたことで、さすがにのんきな僕も事の重大さが身体にのしかかってくるのを感じました。

「自閉症」とはよく耳にすると思いますが、生まれながらに人とのコミュニケーションが難しかったり、こだわりが強すぎたり、聴覚や味覚などの感覚が過敏だったりするもので、それ自体は軽度から重度まで様々な状態があり、自閉症と診断されていても、その特性をいかして社会で頑張っている人もたくさんいます。ただ、知的障害を併せ持っているとなると普通に生活していくためのハードルがかなり高くなってきます。

僕は家でお仏壇にむかって手を合わせ、亡くなった母やうやふぁ~ふじ(ご先祖様)に訴えました。「母ちゃん、オジィ!これまで見守ってくれてありがとう。俺は今まで好きなように生きて、好きな仕事をして、好きな人と結婚もして、東京まで来る事ができました、後はもう自分で何とかしますから、長男の自閉症を治して下さい!」と、、。むなしい願いでした。そんな時もあたたかく励ましてくれた家族や友人、地域のみなさん、そして人生の師匠からの「生まれて意味のない子なんて一人もいない、貴方のところだから生まれてきたんだ!」との激励をうけて「思い悩んでいる暇はない!」と奮起。

常に前向きな妻とともに、障がい福祉サービスや、支援機関等の現状や情報を市役所などから積極的に集めました。すると療育の方法や同じ状況で前向きに生きている人達の情報をたくさん得ることができ、僕たち夫婦にとって本当に助けになりました。何より長男の「自閉症と知的障害を併せ持つ特性」をまずは親が理解し、地域の方々と連携し長男の生きやすい、過ごしやすい環境を創り出す!その事に力を尽くしていこう!という気持ちに変わっていけたのは大きかったと思います。なぜなら「子供の重い障がいをきちんと理解し一生寄り添って生きる!」この決意なくして重度の障がいを持つ子を育てるのは難しいからです。

*ここで自閉症について
自閉症の原因は定かではなく、現在も研究されていますが、脳の機能性の問題と言われ、心、心因性の問題ではないと言われています。ですから、母親のあやし方とか、コミュニケーション不足とかではありません。親の関わり方が原因ではないという事はハッキリしているそうです。ここ大事です。

さあ、それからは笑いあり涙ありの人生劇場、まるでウチナー芝居のような、ドタバタ人生がスタートしました!(笑)主人公はなかなか一筋縄ではいかない我が道を行く大御所(長男)ですから(笑) 漫才ではないですけど、「こういうボケもあるんだ」とか、僕らの考えが及ばない行動をしては笑わせてくれたり、感動させられています。

長男は保育園時代、多動で何処にそんなエネルギーがあるのか不思議なくらい、とぅんとぅるも~か~(飛び跳ねたり)したり、「周りの人が自分を見ていないセンサー」が作動するとすぐ外に飛び出して行きました。保育士さんたちと総出の大追跡。結局国道の交差点を危険認知ができないため車も見ずに裸足で渡ろうとしている所をバスの運転手さんが急ブレーキをかけて間一髪で避け、保護してもらった事もありました。運転手さんがバスから降りて話しかけても何も答えない長男を一緒にバスに乗せて警察に行って引き取ってもらい、僕らが迎えに行ったときには取調室でかつ丼を食べていて、皆泣きながら笑ったというオチまでついた出来事など、脱走劇は数えきれません。

心配と和みを日々与えてくれる長男には自分たちが試されているようでした。喜怒哀楽を表せるのは、親としては嬉しんですが、急に叫んだり、落ち着いて座る事や待つ事が難しい長男は外食やスーパー等も、こちらが疲れている時などはなかなか行けません。ある時、気丈な妻がかなり落胆した様子で「お父さん、私たちは周りの人にあやまるだけの人生なのかなぁ」と呟きました。僕は「あらんど~将来はありがとうって言われる人に育てようよ」と自分にも言い聞かせるように言いました。

僕は長男をみているとこう感じます。あくまで僕の気持ちですが、長男は障がいをもって生まれて来ましたが、もしかしたら本人はそれほど気にしてなく、僕に対して「やろうと決めればなんでもできるのだから、人生手抜きせず全力で頑張って!」と言われているように感じるのです。
楽な方へ逃げたがる僕の習性を読んで(笑)そして長男にかかわる人たちの優しい気持ちを呼び起こしてくれているのかな、と。まさに人生のシンシー(先生)です。そして長女や次女にもいい影響を与えてくれているようです。二人とも それぞれのやるべき事や夢に向かって、本当に一生懸命頑張ってくれています。逆に僕たち親が教えられる思いです。

長男は美咲特別支援学校の幼稚部、小学部、中学部、高等部の13年間を多くの先生方や、同級生、保護者の皆さん、地域の皆さんに支えられ、ほとんど休むことなく無事に卒業し、現在は障がい福祉サービスの生活介護事業所に毎日元気に通っています。20歳の今も、発語はなく、小学校の高学年頃から顕著になった、強度行動障害(顔たたき等の自傷行為)や睡眠障害の症状があるなか、気持ちが落ち着いている時は、時間の経過や場所の移動、人とのかかわり等に自分なりに折り合いをつけようと懸命にがんばっています。

 

 

“障害区分は最重度” で 健常者が生活をする上で簡単にできることを、それよりもはるかに高い壁に長男は挑んでいます。でも周りの人のちょっとした手助けや、促しで出来なかったことが出来たりします。
そんな時にみせるキラキラ笑顔は本当に最高です!

生活介護事業所に通い始めて2年近くになりますが、支援員のみなさんに丁寧に教えてもらいながら、課題や創作活動に取り組み 歩みはゆっくりですが、日々前に進んでいます。親ばかと言われるでしょうが、そんな息子を僕は本当に可愛いく、誇りに思います。そのたびに 生まれてきた喜びや、今 自分がおかれている状況など、多くの事に感謝し、原点に返ることができるのです。

これまで支えて頂いたみなさん、泣き笑いの人生をともに歩いてくれている家族に感謝の気持ちで一杯です。そして、何よりも、障がいをもって生まれて来てはいるものの、懸命に生きる姿、渾身の人生で僕たちに 多くの気づきと歓喜を与えてくれる長男に伝えたいと思います。

「毎日よく頑張っているね、ありがとうね!」 

僕の家族の人生はまだまだ続きます。
今年(平成30年)成人式を迎える長男とともに家族が成長し、お世話になった方々へご恩返しができるよう、報恩感謝の気持ちで、負けない人生を歩んでいきたいです。

まくとぅに、にふぇ~で~びたん!(本当にありがとうございました)

 

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